別のところ(獅子風蓮の青空ブログ)で、こんな記事を書きました。
柳原滋雄氏のブログより その17 トランプはサイコパスなのか?(2025-11-25)
「妙法のジャーナリスト」柳原滋雄氏は、トランプ大統領を「サイコパス」だと断定しています。
私も、トランプは極めて問題の多い人物だと思っています。
しかし、それが厳密な意味で「サイコパス」と言い切れるかどうかは、自信がありません。
ノーベル平和賞を無邪気に欲しがってみせたり、子どもじみて愚かな人物だとは思うのですが、そんな人物を大統領に選んだアメリカ国民の多くの人々に対する失望の方が大きいかもしれません。
アメリカ人って、バカなの?
そして、探してみたら、そのものズバリのタイトルの本を見つけました。
小林至『アメリカ人はバカなのか』(幻冬舎文庫、2003年)

アメリカ人は「自由」という言葉をことさら好むが、これは「勝者は敗者に何をしてもよい」という自由だった!すさまじい拝金主義、はびこる人種差別、世界一高い医療費、割り算のできない学生がいっぱいの名門コロンビア大、年々広がる貧富の格差、銃を野放する殺しあい社会…なのに、そんな自国が大好きなアメリカ人を、冷静に論じた快著。
かいつまんで紹介したいと思います。
『アメリカ人はバカなのか』
□まえがき
□第1章 誰のための好況か?
□第2章 危機に瀕するデモクラシー
■第3章 米国は平等なのか?
■決して模範的とはいえない訴訟社会
□犬も歩けば弁護士に当たる?
□「そんなバカな!」ことが通用するから恐ろしい
□法は牙、裁判は爪
□プロスポーツ界で甘い汁を吸う弁護士
□ファン軽視で人気も落ち始めた
□法律という名の暴力
□いくらあっても足りない弁護士費用
■もはや悪でしかない陪審員制度
■弁護士次第でどうにでもなる
□対日感情に判決が左右されることも
□愛煙家が犯罪者になる日も近い?
□「煙草訴訟は金になる」
□木を見て森を見ない法体系
□法廷中継はドラマよりも奇なり?
□消えぬ人種差別
□第4章 「一人勝ち」の代償
□番外編 リストラ体験レポート
第3章 米国は平等なのか?
――実験国家のルールと構造
決して模範的とはいえない訴訟社会
もはや悪でしかない陪審員制度
そうなる理由であり、公正な裁判を妨げる最大の障害が陪審員制度です。無作為に抽出された市民(通常12名)が裁判に立ち会い、有罪か無罪かの評決を行う。つまり、国は、誰であろうと、どんな犯罪であれ、有罪にする権限は持たず、国の主権者たる市民の代表が裁くのが陪審員制度です。
これまで二度ほど、陪審員の召喚を受けたことがあります。いずれも、ダイレクト・メールに似た封筒で送られてきました。外国人はできないことになっていますので、そもそも、どうして私のところに召喚の手紙が来るのか不思議でしたが、どうやら納税者にはランダムに送られている模様で、他にも召喚状を受け取った外国人は山ほどいました。いずれも、返信用葉書に、できない理由(外国人だから)と、電話番号、署名を記入して返送しました。この陪審員制度、無作為に選ばれた一般市民から成る一団だけに評決の権利を与えることによって、政府の権力濫用を防ぐというのが、その成り立ちです。その精神自体は立派なものですが、しかし、これは実に頼りない制度です。土台、有罪か無罪か、生か死か、そのすべてを決定する役割を担っているのが素人だというのは、怖い話です。しかも、社会常識を身に付けた“まともな”市民が陪審員をしない場合がほとんどなのです。
陪審員のなり手は少なくなる一方です。それは、陪審員の報酬が、一日わずか5ドルプラス交通費(ガソリン代)なのが理由の一つ。もう一つは、陪審員選定作業のために候補者は、裁判所内の控室に1ヶ月も2カ月も通うことになるためです。
必然的に、陪審員は、暇を持て余した人間、もしくは一日5ドルでも必要としている人間で、占められてしまいます。実際、7年弱の在米生活で様々な米国人を見てきましたが、陪審員に複数回なった人間で、普通の人を見たことがありません。
しかも、O・J・シンプソン裁判などのように、マスコミが注目する裁判では、裁判所の命令で、陪審員は外界との接触を断たねばなりません。そのため、強制的にホテルやモーテルに隔離されてしまうのです。陪審員は、他の陪審員を含む、第三者と話し合うことを禁止され、テレビ・ニュースを見たり、新聞を読むことすら制限されます。市民が忌避したがるのも、当然なのです。
実際、忙しく働いている人々は、陪審員になることを可能なかぎり避けます。ただ、人生で一度は召喚に応じなければならないので、彼らは一日で終わりそうな、小さな事件を選んで応じるのです。
もう一つ、被告側は陪審員選定の過程で、とくに理由を明確にしなくても、12人までなら、候補者を正式な陪審員から外す(専断的忌避)ことができます。ということは、自軍の不利になりそうな人間を排除できるということです。
O・J・シンプソン裁判もそうでした。まず、シンプソンの弁護団は、審理を黒人居住者の多い地域で行うよう要求しました。何人もの殺人容疑者を無罪にした伝説の弁護士F・リー・ベイリー、「黒を白に変える男」ロバート・シャピローに、黒人ナンバーワンの知名度を誇るジョニー・コクランを擁するドリーム弁護団ですから、このくらいは朝飯前です。そして、陪審員12人中9人を黒人とすることに成功しました。
裁判の進め方も見事なものでした。「殺ったか、否か」を問うはずの裁判を、多彩なレトリックをもって人種問題にすり替え、無罪を勝ち取ってしまったのです。刑事陪審員制は、検事側の控訴を認めていないので、これでシンプソンは無罪放免となりました。
真相は藪の中で知る由もありませんが、続いて行われた民事訴訟では、「殺害の責任あり」との評決、遺族に3350万ドルの賠償金支払いを命じられています。「殺害の責任」とは婉曲的な表現ですが、要するに「お前が殺した」ということで、刑事裁判とはまったく逆の結論が出たわけです。
私の友人に、ニューヨーク州のロングアイランドで刑事弁護士をしている人間がいます。彼は、大多数の弁護士同様それだけでは生計を立てることができず、英語教師をバイトにしています(それがそもそも知己を得たきっかけなのですが)。その彼に、O・J・シンプソン事件の感想を問うた時、こう答えました。
「被告側にとって、資金と候補者のリサーチさえ万全なら、陪審員一人ひとりを説得していくのは、たやすいこと。そのリサーチは、住所、家族、経済状況まで、細部にわたり、そのデータを元に、買収や脅迫を行うこともためらわない」
弁護士次第でどうにでもなる
早い話が、弁護士次第でどうにでもなるわけです。こんな話があります。ある日本人女性がアメリカ人の夫から離婚を申し立てられました。若い夫婦で、財産の分配に関してはいっさい問題がなかったのですが、子供の親権で揉めました。
敏腕の弁護士を雇った夫側はいろいろ工作をして、裁判官に、子供の親権を一時的に夫側に渡させることに成功しました。それでも、子供の親権に関しては通常、女性側のほうが圧倒的に有利ですから、当然、判決を覆すよう動くと思っていたところ、彼女側の弁護士は「勝ち目なし」とそのまま引き下がることを提案しました。
彼女は弁護士を解雇し、闘ってくれそうな弁護士に依頼しました。新しい弁護士は、裁判官に人種偏見による言動の事実あり、として裁判官の忌避を求め、それを認めた裁判官にこの件から身を引かせた上、判決をも撤回させることに成功したのです。
【解説】
公正な裁判を妨げる最大の障害が陪審員制度です。無作為に抽出された市民(通常12名)が裁判に立ち会い、有罪か無罪かの評決を行う。つまり、国は、誰であろうと、どんな犯罪であれ、有罪にする権限は持たず、国の主権者たる市民の代表が裁くのが陪審員制度です。
アメリカの陪審員制度がこんなにひどいものとは知りませんでした。
日本でも、アメリカを見習って同様の制度(裁判員制度)を導入しましたが、弊害は生じていないのでしょうか。
獅子風蓮