獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

『創価学会・公明党の研究』を読む その46

以前、こんな記事を書きました。

新党・中道とは創価学会・公明党の「撤退戦」のための道具だったのか?(2026-02-05)

この記事の解説でも言及しましたが、中野潤『創価学会・公明党の研究』(岩波書店 2016)はいささか古い本ですが、現在の公明党の連立離脱・衆議院小選挙区からの撤退を理解するためには必読の著書です。
この本によると、創価学会は、会員の負担を考え、いつか衆議院から撤退することを考えていましたが、2015年11月の「政変」(正木理事長更迭事件)にからんで、先延ばしにされていたという事情があったようです。

そこで、この本を検証してみたいと思います。

 

創価学会・公明党の研究-自公連立政権の内在論理


暴走の歯止め役か、付き従う選挙マシンか。深まる創価学会と公明党の一体化に伴い、ますます自民党は選挙において創価学会への依存度を高めていく。はじめて明かされる創価学会と政界の攻防。


創価学会・公明党の研究

□序 章 最大の目的は「選挙協力」

□第1章 非自民連立政権の失敗から自公連立へ

□第2章 公明党の歴史的変遷

□第3章 創価学会と公明党の内部構造

□第4章 公明党の苦難の時代の始まりと創価学会「政治縮小路線」への模索

■第5章 幻の「民公連携」
 □満座の中で太田らを罵倒した池田大作
 □秋谷ラインの復権と民主党シフト
 ■くすぶる小選挙区撤退論
 □先送りされた政治路線論議
 □池田の一言で消えた太田昭宏の公認
 □迷走する参院選方針
 □連立10年の桎梏
 □復活した市川が賛成させた補正予算案
 □学会員の猛反発を招いた小沢秋谷会談
 □民主党との距離を「演出」した公明党
 □「池田不在」の衝撃
 □中止された参院選後の本部幹部会
 □秘密会合で話し合われた参院選の総括と今後の政治方針
 □戦略なき民主党の学会・公明党対策
 □スクープされた民主・公明の補正予算協議
 □公明党の「ねじれ特需」
 □学会員の民主嫌いと公明党の民主への配慮
 □池田の体調悪化がもたらした暗雲
 □足かせとなった「ポスト池田」レース
 □池田不在の中、発言力を高める婦人部
 
□第6章 潰えた選挙制度改革という悲願

□第7章 「ポスト池田」レースと第二次安倍政権下の自公連立

□第8章 解釈改憲を認めた「平和の党」

□第9章 自民・公明の力関係と「維新」

□第10章 2016年参院選へ、創価学会の必死の攻勢

□終 章 創価学会・公明党はどこに向かうのか

 

 


第5章 幻の「民公連携」
  ――池田の体調悪化と創価学会の迷走

くすぶる小選挙区撤退論

公明党が衆院選で惨敗して野党になったことで、創価学会内では、選挙前からくすぶっていた、衆院小選挙区からの撤退を柱とした今後の政治路線に関する議論が本格化した。これまでのように自民党と全面的に協力して、比例区と小選挙区の両方で議席獲得を目指すのは止めようとの意見が一層強まったのだ。
衆院選直後の09年9月、東京・信濃町の学会施設で、全国13方面の方面長らが本部の幹部たちと意見を交わす「方面長会議」が開催された。
会議では、「もはや自民党と一体となって選挙を戦うことにはならない。公明党単独では小選挙区で勝てない以上、小選挙区での議席確保にこだわっても仕方がない」「比例区に特化すれば、より効率的に議席が確保できる。今回も小選挙区に注入した力を比例に振り向ければ比例の議席はもっと取れた」といった小選挙区撤退を求める意見が相次いだ。これに対して、関西方面の代表などからは「小選挙区から撤退したらジリ貧になる。比例区だけでは政党としての存在感を示すことができない」などの反対意見も出された。
結局、衆院選の総括としては、公明党の公認候補を擁立した8つの小選挙区全ての勝利にこだわったため、逆に全敗という結果を招いたとの認識で一致し、その時々の情勢に応じて柔軟な選挙戦術をとることになった。ただ、小選挙区からの撤退については、「小選挙区で戦ってこそ、比例票の上積みが可能だ」とか、「(公明党では行なっていない)小選挙区と比例の重複立候補をさせることで比例票を伸ばすべきだ」といった意見も出て、結論は先送りされた。
本書で何度も述べているが、公明党は自らの力だけでは小選挙区で勝ち抜けない以上、小選挙区では二大政党のどちらか一方と全面的に協力して戦うしかない。それでも、小選挙区で当選させるのには多大な労力が必要になる上、この時のように協力相手とともに野党に転落してしまえば、今度は与党になった敵対政党から攻撃され、池田の国会招致や学会に対する税務調査の強化といったしっぺ返しを受ける恐れが高まる。民主党政権が誕生したからといって今度は民主党に近付いても、民主党が今後、衆院選を何度も勝ち抜いて長期政権になるとの見通しが持てない以上、民主党との全面協力には踏み切れない。そうであれば、小選挙区から撤退し、比例で一定議席を確保した上で、二大政党の狭間で政権に対して是々非々の立場で臨むしかないとの意見が、この時期、学会本部の幹部たちの間に広がっていた。以前から小選挙区撤退論を唱えていた幹部の一人は、「今回、8選挙区全て負けたことで、小選挙区から撤退する環境が整った。ケガの功名だ」ともらした。だが、小選挙区制になってから、全国各方面のうち最も多くの小選挙区で戦ってきた関西方面の幹部らは、小選挙区撤退に強 い抵抗を示していた。

 


【解説】

公明党が衆院選で惨敗して野党になったことで、創価学会内では、選挙前からくすぶっていた、衆院小選挙区からの撤退を柱とした今後の政治路線に関する議論が本格化した。これまでのように自民党と全面的に協力して、比例区と小選挙区の両方で議席獲得を目指すのは止めようとの意見が一層強まったのだ。

(中略)

以前から小選挙区撤退論を唱えていた幹部の一人は、「今回、8選挙区全て負けたことで、小選挙区から撤退する環境が整った。ケガの功名だ」ともらした。だが、小選挙区制になってから、全国各方面のうち最も多くの小選挙区で戦ってきた関西方面の幹部らは、小選挙区撤退に強 い抵抗を示していた。

 

創価学会内部は、小選挙区撤退論について、意見が分かれていたようです。

 


獅子風蓮

『創価学会・公明党の研究』を読む その45

以前、こんな記事を書きました。

新党・中道とは創価学会・公明党の「撤退戦」のための道具だったのか?(2026-02-05)

この記事の解説でも言及しましたが、中野潤『創価学会・公明党の研究』(岩波書店 2016)はいささか古い本ですが、現在の公明党の連立離脱・衆議院小選挙区からの撤退を理解するためには必読の著書です。
この本によると、創価学会は、会員の負担を考え、いつか衆議院から撤退することを考えていましたが、2015年11月の「政変」(正木理事長更迭事件)にからんで、先延ばしにされていたという事情があったようです。

そこで、この本を検証してみたいと思います。

創価学会・公明党の研究-自公連立政権の内在論理


暴走の歯止め役か、付き従う選挙マシンか。深まる創価学会と公明党の一体化に伴い、ますます自民党は選挙において創価学会への依存度を高めていく。はじめて明かされる創価学会と政界の攻防。


創価学会・公明党の研究

□序 章 最大の目的は「選挙協力」

□第1章 非自民連立政権の失敗から自公連立へ

□第2章 公明党の歴史的変遷

□第3章 創価学会と公明党の内部構造

□第4章 公明党の苦難の時代の始まりと創価学会「政治縮小路線」への模索

■第5章 幻の「民公連携」
 □満座の中で太田らを罵倒した池田大作
 ■秋谷ラインの復権と民主党シフト
 □くすぶる小選挙区撤退論
 □先送りされた政治路線論議
 □池田の一言で消えた太田昭宏の公認
 □迷走する参院選方針
 □連立10年の桎梏
 □復活した市川が賛成させた補正予算案
 □学会員の猛反発を招いた小沢秋谷会談
 □民主党との距離を「演出」した公明党
 □「池田不在」の衝撃
 □中止された参院選後の本部幹部会
 □秘密会合で話し合われた参院選の総括と今後の政治方針
 □戦略なき民主党の学会・公明党対策
 □スクープされた民主・公明の補正予算協議
 □公明党の「ねじれ特需」
 □学会員の民主嫌いと公明党の民主への配慮
 □池田の体調悪化がもたらした暗雲
 □足かせとなった「ポスト池田」レース
 □池田不在の中、発言力を高める婦人部
 
□第6章 潰えた選挙制度改革という悲願

□第7章 「ポスト池田」レースと第二次安倍政権下の自公連立

□第8章 解釈改憲を認めた「平和の党」

□第9章 自民・公明の力関係と「維新」

□第10章 2016年参院選へ、創価学会の必死の攻勢

□終 章 創価学会・公明党はどこに向かうのか

 

 


第5章 幻の「民公連携」
  ――池田の体調悪化と創価学会の迷走

秋谷ラインの復権と民主党シフト

衆院選の惨敗を受け、創価学会内では「先祖帰り」とも言える動きが顕在化した。次の参院選に向けた選挙対策の前面に、前会長の秋谷が再び出てきたのだ。秋谷は3年前に会長職を退いた後、最高指導会議議長という閑職に追いやられていた。その後も選挙対策については一定の関与をしていたというが、徐々に発言力が復活したのだ。
06年に秋谷が会長を外された際、25年もの間、選挙を陣頭指揮してきた秋谷が一線から退けば、学会の選挙運動に支障が生じるとの懸念は、学会や公明党の中だけでなく、連立のパートナーである自民党からも出ていた。実際、その後の国政選挙で自公両党は二連敗。それも惨敗だった。翌年の参院選を乗り切るためには、選挙に精通し、永田町人脈も豊富な秋谷の力を借りる必要があったのだ。秋谷は、選挙対策から外されていた副会長の佐藤浩を選挙の実務責任者に復帰させた。
秋谷と副会長で事務総長の谷川佳樹、そして佐藤の3人は、自公連立が始まってからの10年間、自民党との選挙協力を推進してきた。それゆえ、秋谷や佐藤の復権は、民主党との関係構築が急務になっている現実と矛盾する動きにも見えた。だが、それは誤った見方だった。
現に秋谷がまず行なったのは、かつて公明党書記長として辣腕をふるった市川雄一を翌2010年1月、党常任顧問に復帰させたことだった。市川は、非自民の細川・羽田政権下で、「一-一ライン」と呼ばれる小沢一郎との太いパイプを誇った。09年9月に発足した鳩山政権下の与党・民主党の幹事長は小沢であり、市川の復帰は露骨な民主党シフトだった。市川は、細川政権に参加して以降の公明党の戦略が新進党解党によって失敗に終わり、自民党からの激しい学会攻撃を招いたことの責任を一身に負わされ、池田から罵声を浴びて蟄居に追い込まれていた。それが十数年ぶりに表舞台に復帰したのだ。
秋谷は、自らも小沢と密会するなど民主党とのパイプの復活に精力的に取り組んだ。秋谷も佐藤も、あくまで「選挙対策のプロ」であり、彼らにとって公明党を勝たせるため、あるいは学会を守るためには自民党も民主党も関係ないのだ。とりわけ秋谷は、小沢との直接のパイプは太くないとはいえ、細川・羽田政権当時はともに裏から政権を支え、その後もともに新進党を支援して自民党と戦ってきた経歴を持つ。
ちなみに、創価学会内ではその頃、地方の現場レベルでも、いったん閑職に引っ込んでいた元幹部たちが次々とラインに復帰していた。とりわけ議員OBは、彼らが持つ豊富な経験と幅広い人脈が選挙で頼りになると考えられ、重要ポストに返り咲いた。そこには、自公連立以前の人脈が必要だったという面もあった。その象徴が市川と同時に公明党顧問に復帰した大川清幸と黒柳明という二人の元参院議員だ。この二人は議員OBの中でも学会内での地位が高く、OBたちを動かすための象徴として復帰させたという。
池田によって引退させられていた秋谷や市川らの復権は、「池田体制」を磐石なものにするために行われた人事の失敗とともに、学会および公明党の人材不足も浮き彫りにした。

 


【解説】

衆院選の惨敗を受け、創価学会内では「先祖帰り」とも言える動きが顕在化した。次の参院選に向けた選挙対策の前面に、前会長の秋谷が再び出てきたのだ。秋谷は3年前に会長職を退いた後、最高指導会議議長という閑職に追いやられていた。その後も選挙対策については一定の関与をしていたというが、徐々に発言力が復活したのだ。

(中略)

池田によって引退させられていた秋谷や市川らの復権は、「池田体制」を磐石なものにするために行われた人事の失敗とともに、学会および公明党の人材不足も浮き彫りにした。

 

ここは重要ですね。

池田氏の構想した、「池田体制」を磐石なものにするために行われた人事は、失敗したのです。

これ以降、池田氏と秋谷氏らとの確執が表面化してきます。

 


獅子風蓮

『創価学会・公明党の研究』を読む その44

以前、こんな記事を書きました。

新党・中道とは創価学会・公明党の「撤退戦」のための道具だったのか?(2026-02-05)

この記事の解説でも言及しましたが、中野潤『創価学会・公明党の研究』(岩波書店 2016)はいささか古い本ですが、現在の公明党の連立離脱・衆議院小選挙区からの撤退を理解するためには必読の著書です。
この本によると、創価学会は、会員の負担を考え、いつか衆議院から撤退することを考えていましたが、2015年11月の「政変」(正木理事長更迭事件)にからんで、先延ばしにされていたという事情があったようです。

そこで、この本を検証してみたいと思います。

創価学会・公明党の研究-自公連立政権の内在論理


暴走の歯止め役か、付き従う選挙マシンか。深まる創価学会と公明党の一体化に伴い、ますます自民党は選挙において創価学会への依存度を高めていく。はじめて明かされる創価学会と政界の攻防。


創価学会・公明党の研究

□序 章 最大の目的は「選挙協力」

□第1章 非自民連立政権の失敗から自公連立へ

□第2章 公明党の歴史的変遷

□第3章 創価学会と公明党の内部構造

□第4章 公明党の苦難の時代の始まりと創価学会「政治縮小路線」への模索

■第5章 幻の「民公連携」
 ■満座の中で太田らを罵倒した池田大作
 □秋谷ラインの復権と民主党シフト
 □くすぶる小選挙区撤退論
 □先送りされた政治路線論議
 □池田の一言で消えた太田昭宏の公認
 □迷走する参院選方針
 □連立10年の桎梏
 □復活した市川が賛成させた補正予算案
 □学会員の猛反発を招いた小沢秋谷会談
 □民主党との距離を「演出」した公明党
 □「池田不在」の衝撃
 □中止された参院選後の本部幹部会
 □秘密会合で話し合われた参院選の総括と今後の政治方針
 □戦略なき民主党の学会・公明党対策
 □スクープされた民主・公明の補正予算協議
 □公明党の「ねじれ特需」
 □学会員の民主嫌いと公明党の民主への配慮
 □池田の体調悪化がもたらした暗雲
 □足かせとなった「ポスト池田」レース
 □池田不在の中、発言力を高める婦人部
 
□第6章 潰えた選挙制度改革という悲願

□第7章 「ポスト池田」レースと第二次安倍政権下の自公連立

□第8章 解釈改憲を認めた「平和の党」

□第9章 自民・公明の力関係と「維新」

□第10章 2016年参院選へ、創価学会の必死の攻勢

□終 章 創価学会・公明党はどこに向かうのか

 

 


第5章 幻の「民公連携」
  ――池田の体調悪化と創価学会の迷走

満座の中で太田らを罵倒した池田大作

2009年8月の衆院選は歴史的な政権交代選挙となったが、公明党にとっても1967年の衆院進出以降、過去最低の議席(21議席)となる歴史的惨敗となった。候補を擁立した8つの小選挙区では全敗。代表の太田や幹事長の北側ら幹部も軒並み落選した。創価学会・公明党の実力を示すバロメーターである公明党に投じられた比例の得票総数(全国11ブロックの合計)は805万票。衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されて以降、投票率は最も高い69%まで上がったにもかかわらず、公明党の得票はその4年前の衆院選から93万票も減少した。予想を超えた惨状に幹部たちは言葉を失った。
衆院選後初の創価学会本部幹部会が、09年9月10日、東京・八王子の東京牧口記念会館で開催された。その模様について翌日の聖教新聞は「(池田)名誉会長は、『広宣流布こそ永遠の大事業』と強調。全国の偉大な同志の奮闘に心からの感謝の言葉を述べた」などと報じた。「広宣流布」とは広く日蓮の教えを伝えることを意味し、選挙での公明党の勢力拡大が「広宣流布」と同一視されていることから、それを「永遠の大事業」と宣言したことは、選挙の敗北を認めたものとも受け取れる。だが、直接、衆院選に触れたくだりはなかった。その3日後の聖教新聞には「名誉会長のスピーチ全文」が掲載されたが、間接的に衆院選敗北を総括したとも受け取れる発言は見られるものの、やはり直接選挙に触れた言葉はなかった。
だが、実際はこの席で、池田はきわめて厳しい責任追及を行なっていた。それは具体的かつ激しすぎるため、新聞掲載時に削られたのだ。全国の創価学会の会館に配信される演説の映像からも、その部分はカットされた。
「勝負は必ず勝たなければならない。私はずっと命がけで戦い、そして勝ってきた。今回はなぜこうなったのだ」「幹部たちに油断があった。原田(会長)、秋谷(栄之助・前会長)、西口(良三・前総関西長)……、お前たちは真剣に戦ったのか」「そこに座っている太田もそうだ。議員たちはいったい何をやっていたのか」
池田は、1000人ほどの出席者の前で、その場にいた創価学会および公明党の最高幹部あわせて6人ほどの具体名を挙げて叱責した。いや、罵倒という言葉の方がしっくりくるほど、激しいものだったという。
こうした会合で、池田が幹部を名指しで面罵することは珍しくはない。それが一般会員たちの不満のガス抜きにもなり、池田の権威を高めることにもなるからだ。だが、この日の口調は、いつになく激しいものだった。
先述したように、池田はこの3年ほど前から自分の直系を幹部に登用する形で人事の若返りを進めてきた。四半世紀にわたって選挙運動を指揮してきた前会長の秋谷を事実上解任し、選挙にはまったくの素人である自分の「側用人」の原田を会長に据えた人事がその象徴だった。公明党の議席拡大よりも学会内部の組織固め=池田体制の完成を優先したものであり、選挙にはある程度、支障が出ても仕方がないと考えての人事だったはずだ。
だが、予想をはるかに超えた惨敗に池田の怒りが爆発した。公明党はその前の参院選でも敗北していた。選挙活動を組織の引き締めや拡大につなげてきた創価学会は、選挙に負け続ければ弱体化すると考えられている。同時に国会で一定の影響力を確保しなければ、組織防衛もままならない。池田は自らが行なった人事の失敗とも指摘されかねない選挙結果に苛立ちを強めていたのだ。

 


【解説】

実際はこの席で、池田はきわめて厳しい責任追及を行なっていた。それは具体的かつ激しすぎるため、新聞掲載時に削られたのだ。全国の創価学会の会館に配信される演説の映像からも、その部分はカットされた。
「勝負は必ず勝たなければならない。私はずっと命がけで戦い、そして勝ってきた。今回はなぜこうなったのだ」「幹部たちに油断があった。原田(会長)、秋谷(栄之助・前会長)、西口(良三・前総関西長)……、お前たちは真剣に戦ったのか」「そこに座っている太田もそうだ。議員たちはいったい何をやっていたのか」

(中略)

予想をはるかに超えた惨敗に池田の怒りが爆発した。公明党はその前の参院選でも敗北していた。選挙活動を組織の引き締めや拡大につなげてきた創価学会は、選挙に負け続ければ弱体化すると考えられている。同時に国会で一定の影響力を確保しなければ、組織防衛もままならない。池田は自らが行なった人事の失敗とも指摘されかねない選挙結果に苛立ちを強めていたのだ。

 

池田氏は思い通りにならない結果に焦りと怒りを感じていたのでしょう。

組織の拡大をあまりにも選挙に依存してきた創価学会体制そのものの歪が現れた結果だと思います。

そういう体制を作ったのは池田氏自身でした。

ある意味、自業自得の結果なのに、部下を叱り飛ばして怒りをぶつけるとは……

ちょっと残念な、池田先生でした。

 

 


獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その42

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
□第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
■第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第8章 中央アジア

47

(つづきです)

車掌が外に出ていくと、酒匂さんは僕たちの方を向いて、
「夕食と朝食は食堂車でとることができる。ただし、食堂車に客が殺到すると、かなり待たされる可能性があります。コンパートメントへの食事の配達はないということです」と説明した。
「コンパートメントに食事が配達されることもあるのですか」と僕は尋ねた。
「あるよ。シベリア横断鉄道やモスクワとヨーロッパを結ぶ鉄道では、車掌に頼めばコンパートコメントまで食事を運んでくる。食堂車の混雑を避けるためだね」と酒匂さんは答えた。
この人はだいぶソ連旅行に慣れているようだ。
「ソ連旅行をよくするのですか」と僕は尋ねた。
「ソ連は10回くらい訪れているが、いつも通過で、モスクワ以外の街を見たことはないよ」
「南回りならば、格安航空券も出ているのに、何でソ連経由を選ぶのですか」
「ロマンがあるからだ」と酒匂さんが答えた。
「そうだね。ソ連経由でヨーロッパに出る旅行にはロマンがある」ともう一人の高校教師も答えた。
「どういうロマンですか?」と僕は尋ねた。
「船と列車と飛行機のすべてに乗ることができる」
「しかし、毎回、モスクワに2泊するのは、退屈ではありませんか。それにホテル代もかさむ」
インツーリストは、ナホトカ―ハバロフスク―モスクワのルートを用いてヨーロッパに出る外国人には、モスクワに2泊することを義務づけている。
「そうやってあの国は観光客から外貨をむしり取るの」とYSトラベルの舟津素子さんが言っていた。
「いや、抜け道がある」
「抜け道?」
「そうだ。横浜から船でナホトカに出て、夜行寝台列車でハバロフスクに向かうまでは一緒だ。それから、アエロフロート国内線でキエフに向かう」
「キエフ行きが出ているのですか」
「毎日出ている。待ち時間も3時間くらいだ。航空運賃も4万円で、モスクワ行きと変わらない。キエフには夕刻に着くので、そのままパリやウィーンに向かう国際列車に乗り換えることができる。フィンランドやスウェーデンに出るときは不便だが、西ヨーロッパに出るときは、キエフ経由がいちばん便利だ。ただし、ソ連旅行を扱っている日本の代理店は、インツーリストの顔色をうかがっているので、キエフ経由で西ヨーロッパに出るコースは勧めない。もっともこのコースを利用する外国人が増えれば、インツーリストはキエフを経由する場合にも宿泊を求めるようになるだろう」
そういえば旅費と時間を節約するためにキエフ経由という抜け道があることを舟津さんも言っていたことを思い出した。
「キエフ市内を観光したことはありますか」
「ない。いつも通過だけだ」
「さっき、車掌さんとロシア語で話していましたけど、大学で勉強したのですか」
「いや、独学だ。早稲田ではフランス語を勉強した」
酒匂さんたちは早稲田大学文学部で西洋史を勉強したということだ。
「どうして高校の先生になったのですか」
「たぶん、2つの理由がある。生徒に勉強を教えることが好きなのと、本をたくさん読むことができるからだ」
「本をたくさん読むことができる?」
「そうだ。会社勤めになると、仕事が忙しくて、なかなか本を読むことができない」
「僕の父は、銀行の電気技師ですが、4~5日に1回は夜勤で家に帰ってきません。 夜勤がないときも帰宅は、だいたい最終バスで夜の10時半です」
「第一線で働いている人は、みんなそうだよ。ヨーロッパを旅行すると日本人が働き過ぎていることがよくわかる。こんな余裕のない生活をしてると中長期的に日本は衰退していく」
「なぜですか」
「アウトプットばかりしていて、インプットをする時間がないからだ」
「もっとわかりやすく説明してください」
「仕事に追われて、本を読んだり、考えたりする時間がなくなってしまうということだ。だから、夏休みには極力外国に出て、洋書を買って読み、こいつと話をするようにしている」
「そう、俺は毎年、酒匂に付き合わされている」と高校教師が笑みを浮かべて言った。
「こいつは、古代バビロニアのくさび形文字の研究に熱中していて、休みの日には16~17時間は専門誌や論文を読んでると奥さんが嘆いていた」
「嘆いてなんかいないよ。手がかからないのでほっとしているんだ」

 

 


【解説】

酒匂(さこう)さんと同行者の二人の会話は興味深いですね。


獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その41

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
□第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
■第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第8章 中央アジア

47

バスは、ずいぶん旧式で、座席も硬く、15分くらいの移動だったが、かなり疲れた。駅に着くと、バスに同乗したインツーリストの職員が
「切符に書かれている車両に行ってください。そこからは車掌が案内します」と言った。
僕の車両は6号車だった。車両に行くと30歳くらいの女性の車掌が、僕をコンパートメントに案内してくれた。コンパートメントには、既に3人が待っていたが、いずれも日本人男性だ。1人は20代半ばくらい、残りの2人は40歳くらいだ。顎鬚を生やした40歳くらいの男性が、「あなたのベッドは上段ですが、都合が悪ければ下段と替わってもいいです」と尋ねてきた。僕は「上段で構いません」と答えた。
僕たちは、互いに自己紹介をした。
20代の青年は、3年前に日本を出てヨーロッパ放浪の旅を続けていたが、フィンランドを旅しているときに現地の女性と恋に落ちて、結婚し、日本に連れていくところだということだった。40歳くらいの中年男性2人は、都立高校の教師で、早稲田大学文学部の同級生だったので、毎年のように一緒に海外旅行をしているとのことだった。顎鬚を生やした人は、酒匂(さこう)と名乗った。3人を含むこの列車に乗るほとんどの人が、数時間前にモスクワからの直行便でハバロフスクに着いて、そのままこの列車まで連れてこられたということだ。自己紹介が終わった頃に車掌がコンパートメントに入ってきた。
「スカジッチェ・パジャールスタ(教えてください)」と酒匂さんが話し始めた。この人は、流暢ではないが、ロシア語を話すことができるようだ。
「紅茶を欲しい人はいるかと尋ねています。全員でいいですよねえ」と酒匂さんが尋ねた。「私の妻の分もお願いします」と青年が言った。
フィンランド人の妻は、隣のコンパートメントにいるということだ。軟席(一等車)ならば、2人用のコンパートメントが割り当てられるが、経費を少しでも節約したいので、硬席(二等車)にしたということだ。
その後も酒匂さんと車掌は話をしていた。

 

(つづく)

 

 


【解説】

話はだいぶ端折って、酒匂(さこう)さんとの出会いの場面です。

 

 

 

獅子風蓮

友岡雅弥さんの「異者の旗」その108)宿業論(その6)


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 

 


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak110 - 宿業論(その6)

2019年9月5日 投稿

友岡雅弥

 

第六章

ある意味、「過去世の宿業」とかいうのは、仏教ではない、またむしろ、大聖人を苦しめた考え方であると言えるかもしれません。

でも、例えば、「がんばれ!」が、ほんとうに心を伴った言葉である場合もあるし、単に、かってにやっとけ!という意味でもあるように、「過去世の宿業」というのも、文脈によって、変わってくる場合があります。

創価学会の草創期、それは、戦争の記憶がまだ現実でした。人々は、自分の意志に関係なく、1通の召集令状で戦地に送られ、命令どおりに戦わされ、また、ずっと高いところを飛ぶB29から落ちてくる爆弾。
国家にもてあそばれた、不安と翻弄の日々。
その戦争が終わった人々の耳に「宿命転換」という言葉はどのように響いたか。

つまり、「運命は国家の手の内にあるのではなく、自分の手の中にある」「そしてそれは変えられる」。
草創の人たちに聞くと、「宿命転換」という言葉は、「広宣流布」とともに、とても、希望に満ちた言葉として響いたといいます。「広宣流布」は、それまで、世界に冠たる大日本帝国が世界を支配するという考えとは正反対ですよね。


結論

ところが、今は、安易な自己責任論のようなかたちで、「宿業論」が語られる。幹部が、目下の活動に、部員さんを動員させるためだけの、アメ(功徳)と、ムチ(宿命転換できないぞ!)の言葉として使われる場合が多いです。

 

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この原稿は、著者が過去にSNS投稿した記事の元原稿です。

 

 



【解説】
草創の人たちに聞くと、「宿命転換」という言葉は、「広宣流布」とともに、とても、希望に満ちた言葉として響いたといいます。

 

なるほど。

草創の人たちの気持ちとしては、そういうこともあるのですね。

ですから、なおさら創価学会の信仰から宿業論をなくすことは難しいわけです。

でも、少なくとも、宿業論を安易な自己責任論のようなかたちで、上から振りかざすことのないようにしたいものです。

 


獅子風蓮

友岡雅弥さんの「異者の旗」その107)宿業論(その5)


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 

 


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak109 - 宿業論(その5)

2019年8月1日 投稿

友岡雅弥

 

第五章

大聖人の「持妙法華問答抄」は、大聖人が出家をしようと考えた原因が出てくるとても、大事な御書です。
その466ページの、後ろから2行目前後が、とても重要だと思います。
凡夫は、この世の中のいろんな名聞冥利への執着、世法的な生き方が、一夜ばかりの仮の宿、夢のなかの栄えであることを忘れている。そんなものは、前世の宿業が出るに任せておけばいい、仏道を生きるんだ!

つまり、前世の宿業があろうがなかろうが、今、正しい道を生きるのだというのが、大聖人の、出家への決意だったわけです。

467ページの、「願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ。今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と、我も唱へ他をも勧んのみこそ、今生人界の思出なるべき」という有名な言葉があるのがこの御書です。

つまり、世間的なことはどうでもいい。ただ、妙法を持つことのみが最高の生き方だと。絶対的幸福境涯です。


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この原稿は、著者が過去にSNS投稿した記事の元原稿です。

 

 


【解説】
「持妙法華問答抄」

読んでみましたが、難しくてよく分かりませんでした。


友岡雅弥さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮