獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

佐藤優『十五の夏』を読む その31

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

(つづきです)

打ち上げの中華レストランは会場から徒歩10分くらいのところにあった。中国人が経営している高級店だ。篠原さんは、フロアマネージャーと中国語で話している。
「篠原さんは、ロシア語だけでなく、中国語もできるんですか」と僕は尋ねた。
「だいぶ錆びついているけれど、陸軍ではロシア語とともに中国語を叩き込まれた。もっとも中国語を使う機会は、レストランを予約するときしかないけどね」と言って篠原さんは笑った。
大きな丸テーブルに十数人が座った。丸テーブルは回転する。両親に連れられてときどき行く大宮公園の国体記念会館地下の中華レストランにも回転する丸テーブルがあったが、5~6人用だった。こんなに大きな回転式テーブルを見るのは、生まれて初めてだ。
「本当はロシア料理の店で打ち上げをやりたかったのだけれど、東京には本格的なロシア・レストランがないので、中華料理屋にしました。そう遠くない時期に「日ソ友の会」主催のソ連訪問団を組織するので、本格的なロシア料理はそのときに食べることにしましょう」と篠原さんが言った。
ウエイターがまずビールを運んできた。
「モスクワのレストランではビールが出ない。いつも淋しく思う」と篠原さんが言った。
「ロシア人はビールを飲まないんですか」と僕は尋ねた。
「大好きです。ただし、高級レストランでの飲み物とはされていません」と日下さんが言った。
「その代わり、シャンペンを飲むね」と茨城大学の佐藤先生が言った。
「そう。シャンペンは冷えているんでおいしいね」と日下さんが言った。
「佐藤君は、ジュースかコーラだね」と篠原さんが尋ねた。
「コーラをお願いします」と僕は答えた。
僕はコーラ、それ以外の人はビールで乾杯した。
テーブルには、クラゲ、焼き豚、蒸し鶏、ピータン、白菜の漬け物、キュウリの漬け物などが大量に並べられている。かなり値が張りそうだ。さらにウエイターが老酒や白酒を運んでくる。
「この店にはいいマオタイ酒がある。ウオトカよりも度数が高い。試してみるといい」そう言って、篠原さんはマオタイ酒を勧めた。
ここに集まっている人の半分は、「日ソ友の会」の事務所で見たことがある。残り半分は、まったく知らない人で、年齢も50代以上だ。しっかりした身なりの人もいれば、よれよれのジャンパーを着た人もいる。自己紹介もしなければ、篠原さんが参加者について説明するわけでもない。ただひたすら、美味しい酒と食事を楽しんでほしいという会合のようだ。
続いて、北京ダックが出てきた。話に聞いたことはあるが、初めて実物を見た。
「北京ダックは初めてか」と篠原さんが尋ねた。
「はい。テレビで見たことはありますが、食べるのは初めてです。ソ連でもよくあるのですか」
「ソ連にはないと思う。どうだろうか」と篠原さんが日下さんに尋ねた。
「確か、1950年代、中ソ関係が良かった頃は、モスクワのレストラン・ペキンでペキンダックが出たと言います。いまのレストラン・ペキンには中国人のコックは一人もいません。得体のしれない料理しか出てきません。そもそもロシア人は食事に関しては保守的なので、中華料理には馴染まないと思います」と日下さんが説明した。
男性たちは、マオタイ酒や老酒を大量に飲んで、だいぶ酔いが回ってきたようだ。会合は和気靄々とした雰囲気で進んでいたが、突然、ジャンパー姿の男性が中腰になって立ち上がり、隣の席にいる人を怒鳴りつけた。一瞬、空気が凍った。怒鳴りつけられたのはいつか事務所で会った 演劇を専攻する早稲田大学の学生だった。

 


解説

その後、佐藤少年は中華レストランの打ち上げのパーティーに連れて行かれます。

おいしい料理が並び、楽しい会食が続きますが、突然……

 

 


獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その30

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

(つづきです)

5月に新宿区内の公民館で、「日ソ友の会」の創設準備大会が開催された。篠原さんに誘われたので、僕も参加した。会場にはオフシャニコフさんがテレビカメラクルーを連れて取材に来ていた。
会合が終わった後、篠原さんが「これから飯を食うんで一緒に行こう」と言って僕に声をかけてくれた。「よろこんで」と答え、僕はついていくことにした。篠原さんは、「その前に一仕事しなくてはならない」と言って、オフシャニコフさんの方に近寄っていった。篠原さんは、流暢なロシア語でオフシャニコフさんに話しかけた。オフシャニコフさんは、「ダー、ダー」と言いながら、名刺を取り出して、ボールペンで何か書いている。
「佐藤君、ちょっとこっちに来て」と篠原さんが僕を手招きした。僕は篠原さんのところに行った。
「オフシャニコフさんが名刺にレービン課長に宛てた紹介状を書いてくれた。これをモスクワ放送局に持っていけば、面会できる」と篠原さんは言った。
「どうもありがとうございます。佐藤優と申します。現在高校1年生で……」と僕が自己紹介をしようとするとオフシャニコフさんは、「佐藤さん、よく覚えているので、自己紹介は必要ありません。去年、余丁町の支局に来られましたよね」
「覚えていていただいてうれしいです。ところでモスクワ放送局にはどうやって行ったらいいんでしょうか」と僕は尋ねた。
「インツーリストのガイドにこの名刺を見せて、ゴステレラジオに行きたいと伝えれば、案内してくれます」
「オスタンキノのテレビ塔のところですか」
「違います。もっとモスクワの中心にあります。わかりにくい場所なので、自分で探さずに、インツーリストのガイドに頼むことをお勧めします。あるいは(モスクワ放送の)日本課から、佐藤さんが泊まっているホテルまで迎えを出してもいいです。どのホテルに泊まるかわかっていますか」
「いいえ。ホテル・ペキンに泊まりたいとリクエストしていますが、どうなるかわかりません」
「最近、ペキンに泊まる日本人観光客はあまりいません。ウクライナ、ナツィオナーリ、メトロポールあたりに割り当てられると思います。それから電話でモスクワ放送と連絡を取るのはたいへんですから、やはりインツーリストのガイドに頼むといいでしょう」
「わかりました」
「佐藤さんがモスクワを訪れるのは8月後半の予定ですか」とオフシャニコフさんは尋ねた。
「まだ正確な日程は決めていませんが、初めに東欧諸国を回るので、モスクワに入るのは8月20日頃になると思います」
「それならば、レービンさんも夏休みを終えてオフィスに出てきています。ゆっくり話をするといいでしょう。それから、佐藤さんは、テレビに出たことはありますか」
「いいえ」
「テレビに出てみませんか」
「……」
「今、ここでです。今日の『日ソ友の会』の創設準備大会についての感想を聞かせてください」
「何を言ったらいいのですか」
「佐藤さんが感じたことを自由におっしゃってくだされば結構です」
「いや、テレビに出るなんて、荷が重すぎます」
「大丈夫。ソ連国営テレビに日本人が出る機会はあまりないので、是非、インタビューに応じたらいい」と篠原さんが言った。僕は「わかりました」と言って、インタビューに応じた。テレビ用のライトがあんなにまぶしいとは思わなかった。僕は「日本人もソ連人も隣人なのでもっと知り合う必要がある。特に若い世代の日本人が、自分の目でソ連を見て、ソ連人との交流を深めることが重要だと思う。『日ソ友の会』がそのための場を作ってくれることを期待する」という話をした。
オフシャニコフさんは、「完璧です。『日ソ友の会』の設立の必要性をわかりやすく説明してくださいました。モスクワの関係者の間でも反響を呼ぶと思います。佐藤さんは、ジャーナリストになる素質があると思います。その可能性も考えてみるといいと思います。今日の佐藤さんのインタビューは、日本向けのモスクワ放送でも流します」と言った。
こういう経緯から、僕はモスクワ放送の日本語課を訪れることになった。
篠原さんが、「さあ、これで仕事は終わりだ。これから中華料理屋に行こう」と言った。僕は「オフシャニコフさんや日下さんも行きますか」と尋ねた。篠原さんは、「もちろんだ」と答えた。するとオフシャニコフさんが「これから映像をモスクワに送らなくてはならないので、羽田空港に行きます。残念ながら、私は夕食会に参加することができません」と言った。オフシャニコフさんは、「それではまた」と言って会場を去った。
「あいつは仕事がほんとうに好きだ。ロシア人ならば、飲み会があると言えば、仕事を後回しにしてついてくるのが普通だが、トーリャ(アナトリーの愛称)は実に真面目だ」と篠原さんが言った。

(つづく)

 


解説

こうして、佐藤少年のソ連旅行の準備はちゃくちゃくと進んでいきます。

 

獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その29

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

(つづきです)

「立ち入ったことを聞きますけれど、いくらくらいかかりそうですか。ソ連旅行のガイドブックと、日ソツーリストビューロー、日ソ旅行社、YSトラベルから取り寄せた資料だと、ソ連旅行部分だけで25万円くらいかかります。東欧を合わせて50万円くらい両親に準備してもらおうと思っています」
「結構、大きな金額になりますね」と大学生が言った。
「しかし、御両親がお金を出してくれるというんだから、それは甘えて、是非、思う存分、旅行をした方がいい。佐藤君は、今、何歳か」
「15歳です」
「15歳のときに、他の人にはできないような経験をしておくと、それは一生に大きな影響を与えることになる。カネの話をするならば、50万円よりも遥かに大きな成果を将来生み出す。佐藤君のお父さんにはそのことがわかっている。一見、子どもを甘やかしているように見えるが、そうじゃない。これは立派な教育投資だ」と篠原さんは大学生の方を向いて説明した。
父が教育投資としてこの旅行を考えているとは思えなかったが、僕は篠原さんの説明には特に異議を述べなかった。
「モスクワ滞在中には、モスクワ放送局を訪ねるといい。そうだ、オフシャニコフにレービンに宛てた紹介状を書いて貰うといい。オフシャニコフはレービンと親しかったよね」と篠原さんは日下さんに尋ねた。
「あの2人は友人です」と日下さんが答えた。
「レービンて誰ですか」と私は日下さんに尋ねた。
「モスクワ放送国際課の日本課長です。日本語がとてもうまいです。ラジオを通して聞くと日本人と勘違いするくらい上手な日本語を話します」
「ときどき日本向け放送に出るのですか」
「今は管理職だから放送には出ません」と日下さんが答えた。
「『日ソ友の会』を軌道に乗せるに当たってレービンは鍵を握る人物だ」と篠原さんが付け加えた。

 

4月になって高校の授業が始まった。僕は応援団と生徒会本部と文芸部に加わって、課外活動で忙しい生活を送るようになった。それと同時に東京のYSトラベルに通ってソ連・東欧旅行の準備を始めた。東京に出てくる機会が増えたので、ときどき「日ソ友の会」の事務所にも顔を出すようにした。篠原さんのところには、飛び込みでいろいろな人が訪ねてくる。篠原さんは、一人一人に「日ソ友の会」の意義をていねいに説明していた。その際、「ソ連の主張に同調する必要はまったくない。日ソ間には対立する事柄よりも、一致する事柄の方がずっと多い。お互いの利益になる分野を積極的に拡大していくことが重要だ。日本とソ連は、嫌い合っていても、引っ越すことはできない。隣人について、お互いにもっと知る努力をするという意識改革が必要だ」ということを篠原さんは熱心に説いていた。篠原さんの話には説得力があるので、「日ソ友の会」には、大学教授、翻訳家、商社員なども加わってきた。

(つづく)

 


解説

篠原さんは、一人一人に「日ソ友の会」の意義をていねいに説明していた。その際、「ソ連の主張に同調する必要はまったくない。日ソ間には対立する事柄よりも、一致する事柄の方がずっと多い。お互いの利益になる分野を積極的に拡大していくことが重要だ。日本とソ連は、嫌い合っていても、引っ越すことはできない。隣人について、お互いにもっと知る努力をするという意識改革が必要だ」ということを篠原さんは熱心に説いていた。

 

篠原さんの人柄がよく分かりますね。

 

 

獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その28

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

(つづきです)

「半額ですか!?」と僕と大学生が尋ねた。
「日本の大学生がヨーロッパに行くときには、値段が安いのでシベリアルートを取ることが多い。それでもヘルシンキまでだったら片道15万円くらいかかるんじゃないか」と篠原さんが、大学生の方を向いて尋ねた。
「もっと安いと思います。11万円くらいだと思います」と大学生が答えた。
この大学生は、ソ連旅行やモスクワ経由でヨーロッパに出ることについていろいろ調べているようだ。
「ハバロフスクからモスクワまでアエロフロートの国内線で移動して、同日、モスクワで国際列車に乗ることができたとしても、確かモスクワのホテルに2泊しなくてはならないことになっていたよね」
「そうです」と大学生は答えた。
「インツーリストはそれで外貨を稼ごうとしている。インツーリストのホテルは、ソ連人が使うホテルと比較すると10倍以上する。これだと東欧社会主義諸国や中南米やアジア・アフリカなど、ソ連の友好国の青年たちが、ソ連旅行をすることが経済的に難しくなる。ソ連では、外国人登録制度があるので、一般のホテルに外国人が宿泊することはできない。そこで、友好国の旅行団を廉価で受け入れる国際的な窓口としてスプートニクという会社を作った。この会社を経由すれば、スプートニク傘下の安いホテルを使うことができる」
「いくらくらいなのでしょうか」と僕は尋ねた。
「1000円くらいだと思う」
「1000円!? それじゃユースホステルと変わらないじゃないですか」と僕は言った。
「ソ連にユースホステルはないけれども、スプートニク傘下のホテルが青年用の格安旅行に対応している。インツーリストのホテルと比べれば、施設は見劣りするが、ソ連人が使うホテルよりはずっといい。今、ソ連側と折衝しているが、スプートニクのホテルの使用許可が出れば、東シベリア、極東ならば5万円以下、モスクワまで足を延ばしても10万円前後で旅行できるようになる。そうすれば、日本の若い人たちが、皮膚感覚でソ連とロシア人を知ることができるようになる。あの国には良いところもあれば、悪いところもある。しかし、隣国であるにもかかわらず、日本人とロシア人は、相手をまったく知らない。こういう状態は危うい。私が『日ソ友の会』の会長を引き受けたのも、今までの親ソ的な人々を増やすという友好団体とは異なり、ソ連を知る人を増やすという、より現実的な方針を取っているからだ」と篠原さんは言った。
篠原さんは、ロシア人には好感を抱いているが、ソ連の共産主義は嫌いだ。ただし、好き嫌いに関係なく、ソ連は力がある国家で、しかも日本は隣国なので、とにかくソ連についてよく知る人を養成しなくてはいけないと考えている。それには、これまでのさまざまなしがらみがある人々や団体を除いた、若い世代を集める新団体を創設することが必要と考えているようだ。この点では、篠原さんと日下さんの考えは完全に一致している。
「僕はこの夏休みにソ連と東欧を旅行しようと思っています」
「それはいい」と大学生が言った。
「どこを訪れてみたいか」と篠原さんが尋ねた。
「ほんとうはソ連、東欧を全部訪れたいのですが、アルバニアは日本からの観光客を受け入れていません。東ドイツは、手続きが面倒なので、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニアを回った後で、ソ連に入ろうと考えています」
「かなりの強行軍だな。ソ連にはどれくらいいるのか」と篠原さんが尋ねた。
「2週間の予定です。キエフから入って、モスクワに行って、その後、レニングラードやエストニア、ラトビア、リトアニアを回り、シベリアに出るか、モスクワから中央アジアに出て、シベリア経由で横浜に戻ってくるかを考えています」と僕は答えた。
「中央アジアに行ってみた方がいいと思います」と日下さんが言った。
「私もそう思う」と篠原さんも相槌を打った。
「どうしてそう思うんですか」と僕が尋ねると、日下さんが「ソ連がロシアだけではないということを皮膚感覚で知っておくことはとても重要です」と答えた。
「確か、最近、ブハラが外国人に解禁されたはずだ。ブハラやサマルカンドを見ておくことは、大きな意味がある。あそこではイスラム教が生きている」
「ソ連は無神論政策をとっているんじゃないですか」
「そんなの表面だけですよ。ロシアではロシア正教、中央アジアではイスラム教が今も生きています。人間の生活習慣は50~60年では変化しません」と日下さんが言った。
「それじゃ中央アジアに行くことにします」
「それがいい」と篠原さんが言った。

(つづく)

 


解説

佐藤少年のソ連、東欧旅行の夢は膨らみます。

 

 

獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その27

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

(つづきです)

僕たちがケーキを食べていると、玄関のインターフォンが鳴った。奥さんが「今、ドアを開けます」と言って玄関の方に行った。
「早稲田でロシア演劇を専攻している学生を呼んだ。大学でのロシア語の勉強について様子を聞いたらいい」と篠原さんが言った。
身長170センチメートルくらいの痩せた青年が入ってきた。スーツを着てネクタイを締めている。篠原さんと奥さん、事務員とは親しげに話をしているので、この事務所にはよく出入りしているようだ。日下さんとは初めて会ったようだ。僕は、「早稲田大学高等学院に落ちてしまいました」と言って挨拶をした。
「浦和高校に入学したのだから、よかったじゃないですか。早稲田には浦高出身者がたくさんいますよ」と大学生は言った。
「大学でのロシア語の勉強について、どうなっているか佐藤君に教えてあげてくれ」と篠原さんが言った。
「ロシア語を専門とする場合と、第二外国語で勉強する場合では、全く異なってきます」
「どう違うんですか」と僕は尋ねた。
「まず、授業時間が全然違います。専門とする場合、毎日最低2コマ(90分授業が2回)」はロシア語の授業があります。会話にも力を入れます。第二外国語の場合は、週2コマだけで、文法の骨子だけを勉強します。ロシア語はドイツ語やフランス語と比較して文法が複雑なので、1年で基礎文法を終えることができません」
「2年かけて文法を勉強するのですか」
「2年目の授業は、講読になりますが、最初の半年はプリントで、少し難しい文法事項について勉強します」
「3年目からは何を勉強するのですか」
「ロシアを専門に勉強する人以外は、一般教養の2年間で単位を取ればその後、ロシア語を勉強することはありません。第二外国語の勉強は、こつこつ単語を覚える人はあまりいないので、文法の骨子だけを掴んで、試験前の2~3日間に教科書を丸暗記して臨むので、試験が終わってしばらく経つと忘れてしまいます。率直に言って、第二外国語でロシア語を選択してもマスターすることはできません」
僕は、大学に真面目に通っていれば、ロシア語をマスターすることができると思っていたが、どうもそれは甘い考えだったようだ。
「ロシア語やロシア文学を専攻した場合はどうなりますか」
「その場合は、かなり集中的にロシア語を勉強することになります。もっとも早稲田の場合は、ロシア語は道具で、ロシアやソ連の文学や思想、あるいは演劇について研究することにウエイトが置かれています。純粋にロシア語の力を向上させるということならば、東京外国語大学か上智大学外国語学部で勉強したらいいと思います」
「東京外大はわかりますが、上智のロシア語教育はそんなに優れているのですか」
「商社や通訳では、上智大学出身者がたくさん活躍しています」と大学生は言った。
「上智には、ハルビン学院でロシア語を教えていた教師たちが移ってきたので、教育が充実しています」と日下氏が言った。
「ロシア語を習得することだけを考えるならば、大学の授業をあてにしない方がいいと思います。マヤコフスキー学院、ニコライ学院、日ソ学院、ミール・ロシア語研究所などの語学学校に通った方が確実に実力がつきます。実際に早稲田や東京外大の学生でも、ロシア語の通訳や翻訳者になりたいと考える人たちは、こういった語学学校に通っています」
「語学学校と大学では、どういう違いがありますか」
「違いは2つです。まず、学生たちのやる気がまったく違います。それから、教師陣が熱意を込めて教えるので、大学とは全然レベルが異なります」
「授業料はだいぶ高いのですか」
「学習塾とたいして変わりません。僕も大学よりもマヤコフスキー学院での勉強でロシア語の力が身につきました」
「ソ連に行ったことはありますか」
「残念ながらありません。ただし、篠原さんが、『日ソ友の会』で訪ソ団を組織するということですから、そのときは、通訳兼ガイドということで、格安で連れていってもらおうと思っています」と大学生は言った。
「ソ連旅行はインツーリスト経由なので、値段が高すぎる。横浜からナホトカまで船を使っても、モスクワまで行くと20万円くらいかかる。ソ連には学生や青年を受け入れるスプートニクという旅行社がある。そこを使えば、現在の半額でソ連旅行ができるはずだ」と篠原さんは言った。

(つづく)

 


解説

早稲田でロシア演劇を専攻している学生も加わり、佐藤少年は、ロシア語学習について、ソ連旅行の方法について、どん欲に知識を吸収していきます。

 

 

獅子風蓮

佐藤優『十五の夏』を読む その26

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

 

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

30

「僕は、ソ連の社会主義は面白いと思います。ソ連について勉強したいと思っていますが、それは間違っているのでしょうか」と僕は篠原さんに尋ねた。
「間違ってはいない。ソ連についてよく知っておくことは重要だ。しかし、ソ連の思想にかぶれたらダメだ。ロシア人は共産主義なんか信じていない。共産主義ではなく、ロシア人の本質について知ることが重要だ。あいつらには底力がある。日本はソ連の力を侮って、あの無謀な戦争をした。日本政府もアメリカに近寄りすぎて、ソ連を意味もなく敵にしようとしている。日本は資本主義体制を取りながら、ソ連と協力することは十分にできる」と篠原さんは言った。
「具体的にどういうシナリオがあるのでしょうか」と僕は尋ねた。
「シベリア開発だ」
「シベリア!?」
「そうだ。バイカル湖以東の東シベリアと極東の人口はわずか700万人だ」
「それしかいないんですか」
「そうだ。それにシベリアを開発する資金や技術も十分にない。また、中ソ国境地帯も緊張している。日本が東シベリアと極東に進出することをソ連は歓迎する。そうして、具体的な経済協力が始まれば日ソ関係も改善する」
「しかし、そうなると北方領土問題はどうなるのでしょうか」
「北方領土については、日本が声高に要求すればするほど返還が遠のく。ソ連との友好関係の構築を先行させた方がいい。そうすれば、問題解決の可能性が生まれる」
「日本が北方領土を諦めたら、どうなるでしょうか」
「そんなことをしたら絶対にダメだ。ロシア人に舐められるだけだ」と篠原さんは厳しい顔をして答えた。
篠原さんは、北方領土は日本に返還されるべきだと考えているようだ。イデオロギー的にソ連に阿(おもね)る日本人を軽蔑している。
「あなた、そんな難しい話ばかりしていないで、食事が終わったなら、ケーキを食べましょう」と篠原さんの奥さんが声をかけた。
「おお、そうだな。コーヒーも淹れてくれ」と篠原さんが言った。
「ロシア人はコーヒーも飲むのですか」と僕が尋ねた。
「飲むよ。しかし、紅茶の方をずっとよく飲む。ロシアのコーヒーはとても濃い」
「ブラックで飲むんですか」
「ブラックで飲む人もいるが、大抵の場合、砂糖をたっぷり入れる。そうだよね」と篠原さんが日下さんに尋ねた。
「大抵の場合、砂糖をたくさん入れます。トルココーヒーのような感じですね」と日下さんが答えた。
「トルココーヒー?」と僕は尋ねた。
「コーヒーの粉と水を沸かして上ずみを飲むタイプのコーヒーです。ヨーロッパではときどき見かけます。ソ連には、日本のさらさらしたドリップコーヒーはありません。コーヒーに合わせて、ここにあるようなチョコレート菓子が出てきます」と日下さんが説明した。
奥さんが僕たちにイチゴのショートケーキを配った。
「ソ連でもケーキを食べますか」と僕が尋ねた。
「食べます。しかし、アイスクリームの方が好まれます。ソ連のケーキは、チョコレートケーキかメレンゲのケーキがほとんどです。このケーキのような軟らかくて、生クリームがのっているものはありません。いずれにせよ、ロシア人は甘い物をよく食べます」と日下さんが言った。

(つづく)

 

 


解説

篠原さんは、北方領土は日本に返還されるべきだと考えているようだ。イデオロギー的にソ連に阿(おもね)る日本人を軽蔑している。

 

日ソ友の会の人たちの考え方は良識的です。

好奇心旺盛な佐藤少年は、さらにソ連やロシア人の好みについて質問していきます。

 

獅子風蓮

友岡雅弥さんの「異者の旗」その88)大聖人は「末法」を積極的に考えた


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 

 


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak88-二つの「時」

2019年3月14日 投稿
友岡雅弥

 

上方落語のなかで、よく知られ、親しまれてきたネタに「時うどん」があります。江戸に移植されて「時そば」となっています。

桂米朝師が、「落語の基本中の基本」という、「先輩がうまくやった通りをまねて、大失敗する」というコンセプトを持った類の落語の一つです。「つる」「子ほめ」「阿弥陀池」など、たくさんあります。


十五文しか手元にない。「うどんは二八の十六文やで。十五文では一文足らん」のですが、ずる賢い「兄貴」は、うまい手を考える。


寒い日です。温かいうどんを供するうどん屋を見つける。すわったらパッと出てくる。またせませんわな。

出汁がうまい。うどんも「しこしこ」とこしがあり、「つるつる」とのど越しがいい。


十分に堪能して、さて、お金を支払う段になる。


「うどん屋、なんぼや?」

「十六文でございます」


「うどん屋、いくで、手出してんか」

「ありがとぉさんでございます」


「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ(むつ)、七つ、八つ、うどん屋いま何時(なんどき)や?」

「さっき、九つの鐘なったんで、九つです」

「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六と」

「おおき、ありがとさんで」


以前から、この九つというのが、少し疑問だったのです。


「暁九つ」ならば、子の刻で、夜の0時というか12時というか、そのころ。

「昼九つ」ならば、午の刻で、昼の0時というか12時というか、そのころ。


ただし、昔は、太陽が出ている間を六等分し、また太陽が沈んでいる間を六等分するので、春分・秋分の時は、太陽が出ている時間と沈んでいる時間は同じですが、他は、昼と夜の時間の刻みが違うのです。


午後0時であれ、午前0時であれ、なんか、うどんの時間じゃないなぁと思ってたんです。今のように、電燈などはないですから、午前0時というのは、今の「〆のラーメン」じゃないし、ちょっと違うかな。お昼ご飯に屋台のうどんというのも、ちょっと違うような。

だから六つとしている演者もいるようです。

でも、九つぐらいのほうが、数えるリズムがついてて、自然と、「時」を勘定に入れてしまうのかもしれません。


まあ、それはよろしワ。


いわゆる時刻みたいな時間があります。つまり、一方向に流れて行く「時間」。

春夏秋冬もそうですね。


「物理的時間」は、不可逆的です。逆走はできない。


対して、「あかん、がんばりすぎた。今は様子見る時やったのに」

対人支援で、支援者ががんばりすぎて、当事者に負担をかけてしまう場合があります。引き際も大事なのです。


それが、「何時何分から何時何分までは、様子みるんですか?」

インスタントラーメンじゃないって。


これは、物理的な「時」ではないですね。自分が「引かねば」と決める「時」であり、他者との間の距離感ですね。


ここで、あとに引くことが出来る場合も多いです。


つまり、非可逆的に一方に流れて行く物理的ではなく、主体的に自分が他者や社会とかかわる「状況」のことです。


さて、問題は「正像末の三時」です。


多くの人たちにとって、それは物理的な時間です。不可逆的な物理的時間と考えられていたのです。


でも、文明的、文化的なことがらを「物理的な時間」と捉えることは、「正解」でしょうか?


「プッ、プッ、プッ、プーン、只今より像法時代をお知らせします」

「これはあかん。本読まなあかん」

「プッ、プッ、プッ、プーン、只今より像法時代後半をお知らせします」

「これはあかん。本捨てて、寺造らなあかん」


そんなあほなことはありませんね。


ただ、「だんだん、形骸化していく。宗教的内実は失われてしまう」ということはありますよね。

それが、物理的時間できっちり刻まれるということはないわけです。人によっては、三日で、形骸化してしまうこともあります。


しかし、平安末期から、鎌倉時代の人々にとっては、春夏秋冬みたいに不可逆的な時間と思われました。

夏、秋、冬と、どんどん寒くなっていくように、どんどん「仏教のちからがなくなっていく」。そして「末法」。「モウオシマイダー」って訳です。


でも、日蓮大聖人はそうは考えなかった。

今は、どんな時か。

「人々が塗炭の苦しみに沈んでいるとき」

「仏教が形骸化したとき」

ならば、すなわち、「私が、立ち上がるとき」

「いまだ、広まっていない『法華経』の真意を私が伝えるべきとき」


と考えたのです。


人々が物理的な「時」と考えていたものを、主体的な「時」、「私が社会とかかわるべき今」と読み替えたのです。

 

 

 

 

 


解説

平安末期から、鎌倉時代の人々にとっては、春夏秋冬みたいに不可逆的な時間と思われました。

夏、秋、冬と、どんどん寒くなっていくように、どんどん「仏教のちからがなくなっていく」。そして「末法」。「モウオシマイダー」って訳です。

でも、日蓮大聖人はそうは考えなかった。

今は、どんな時か。

「人々が塗炭の苦しみに沈んでいるとき」

「仏教が形骸化したとき」

ならば、すなわち、「私が、立ち上がるとき」

「いまだ、広まっていない『法華経』の真意を私が伝えるべきとき」

 

そう考えると、やはり大聖人様はすごい方だったのですね。

 


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮