獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

佐藤優『国家の罠』その27


佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
 □「背任」と「偽計業務妨害
 ■ゴロデツキー教授との出会い
 □チェルノムィルジン首相更迭情報
 □プリマコフ首相の内在的ロジックとは?
 □ゴロデツキー教授夫妻の訪日
 □チェチェン情勢
 □「エリツィン引退」騒動で明けた2000年
 □小渕総理からの質問
 □クレムリン、総理特使の涙
 □テルアビブ国際会議
 □ディーゼル事業の特殊性とは
 □困窮を極めていた北方四島の生活
 □篠田ロシア課長の奮闘
 □サハリン州高官が漏らした本音
 □複雑な連立方程式
 □国後島
 □第三の男、サスコベッツ第一副首相
 □エリツィン「サウナ政治」の実態
 □情報専門家としての飯野氏の実力
 □川奈会談で動き始めた日露関係
 □「地理重視型」と「政商型」
 □飯野氏への情報提供の実態
 □国後島情勢の不穏な動き
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


ゴロデツキー教授との出会い

専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない。その意味で、ワイドショーや週刊誌の報道が「ロシアとは無関係なイスラエルの学会に行ったのはけしからん、本当の目的は観光旅行だったのだろう」という内容になるのも仕方のないことだった。ユダヤ人問題に興味を持たない人々にとってはなかなか理解しづらいことなのだ。そこで、まず、ロシア・イスラエル関係についての説明から始めることにする。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより600万人のユダヤ人が殺された。アウシュビッツ収容所の悲劇については誰もが知っている。戦後、多くのユダヤ人がこの悲劇を繰り返さないためには、ユダヤ人国家を再建することが不可欠だと考えた。既に19世紀から、エルサレムのシオンの丘に帰って、もう一度ユダヤ人国家を作ろうという運動が始まっていた。これがシオニズムで、イスラエルの建国理念になった。
シオニズムには、ナショナリズムの理念と共に社会主義思想が含まれている。
シオニズムの提唱者の一人であったドイツ系ユダヤ人モーゼス・ヘスは、カール・マルクスの盟友だった。
マルクス主義が形成される過程で画期的意味をもったのが『ドイツ・イデオロギー』(1845―46年)であるということについては、専門家の見解が一致しているが、この共同執筆者にマルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスだけでなくヘスが含まれていたことは案外知られていない。
19世紀半ば、ドイツ知識人の小さなサークルで始まった思想運動は、一つはマルクス主義になって、ソ連、東欧、中国の社会主義諸国を生み出し、もう一つが後期モーゼス・ヘスを経由してシオニズムとなり、イスラエル建国につながったと見ることも可能なのである。そして、ソ連社会主義という歴史の実験は破産したが、イスラエル国家は唯一の超大国アメリカにも影響を与える国際政治で無視できない独自の地位を占めることになった。
1948年にイスラエルが建国されたが、それを世界で最初に承認したのがスターリンソ連だった。もちろんソ連シオニズムに共感をもってイスラエルを承認したのではなく、当時、反帝国主義・反植民地主義の観点から、イギリスからイスラエルが独立することを支援したに過ぎない。その後、いくつかの偶然が重なって、冷戦体制の成立とともに、イスラエルアメリカ陣営に、エジプト、シリア、リビアなどの一部アラブ諸国ソ連陣営に加わった。67年に勃発した第三次中東戦争(六日戦争)の後、ソ連イスラエルと国交断絶。国交が回復するのは91年である。
国交断絶後、ソ連に在住するユダヤ人のイスラエルへの出国は事実上不可能になった。しかし、不可能を可能にする不屈の精神をイスラエル人はもっている。ソ連全国にユダヤ人の秘密ネットワークを作り、ユダヤ人の出国を支援するとともに、欧米においてソ連政府のユダヤ人に対する抑圧政策を改めるようにとのロビー活動を展開し、東西冷戦期にユダヤ人問題は米ソ関係の最重要課題として取り上げられるまでになった。ソ連は、政権に忠誠を誓うユダヤ人を集め、「反シオニスト委員会」を作るが、イスラエル政府の秘密工作を切り崩すことはできなかった。
その結果、88年頃からソ連在住ユダヤ人の出国が緩和された。当時、ソ連に大使館などを持たなかったイスラエルの利益代表をオランダが行っていた。在モスクワのオランダ大使館日本大使館と同じカラシュヌィ通りにあり、徒歩2分の距離だった。
88年夏に私はモスクワ大使館で勤務を始めたが、朝早くからオランダ大使館前に百人を超える人々が行列を作りイスラエルへの出国査証を求めた。その行列は、マイナス20度を超える極寒の中でも短くなることはなかった。カラシュヌィ通りに面したビルの壁には、ノートの切れ端に「住宅売りたし、家財道具売りたし乞連絡」と電話番号を記した自家製広告がたくさん糊で貼られていたのをよく覚えている。
91年12月、ソ連が崩壊し、新生ロシアは反イスラエル政策を根本から改めた。イスラエルは中東で自由、民主主義、市場経済という基本的価値を共有する友好国になった。一方、ロシアは、リビア、シリアなどに軍事援助、経済援助をする余裕がなくなったので、これら諸国との関係は冷え込んだ。

80年代末から2000年までに旧ソ連諸国からイスラエルに移住した人々は「新移民」と呼ばれ、その数は百万人を超えた。イスラエルの人口は六百万人であるが、その内、アラブ系が百万人なので、ユダヤ人の内20パーセントがロシア系の人々である。
これまでイスラエルに移住したユダヤ人は、出身地がドイツであれ、ポーランドであれ、モロッコであれ、ヘブライ語を習得し、急速にイスラエル文化に同化したが、「新移民」は、ロシア語やロシア文化を維持した。イスラエルではロシア語の日刊紙が発行され、衛星放送でロシアの主要テレビ番組が放映されている。ヘブライ語のニュース番組にロシア語の字幕がつくこともある。いまや「新移民」は政治勢力としても無視できない存在となっている。シャロン現首相は少し訛りはあるがロシア語ができるので、選挙に際してはロシア語で演説をして「新移民」の支持を得るように腐心したほどだ。
「新移民」は、ロシアに住んでいたときはユダヤ人としてのアイデンティティーを強くもち、リスクを冒してイスラエルに移住したのだが、イスラエルではかえってロシア人としてのアイデンティティーを確認するという複合アイデンティティーをもっている。
ロシアでは伝統的に大学、科学アカデミーなどの学者、ジャーナリスト、作家にはユダヤ人が多かったが、ソ連崩壊後は経済界、政界にもユダヤ人が多く進出した。これらのユダヤ人とイスラエルの「新移民」は緊密な関係をもっている。ロシアのビジネスマン、政治家が、モスクワでは人目があるので、機微にふれる話はテルアビブに来て行うこともめずらしくない。そのため、情報専門家の間では、イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。しかし、これまで日本政府関係者で、イスラエルのもつロシア情報に目をつけた人はいなかった。

ある偶然により、97年頃から私はイスラエルとの関係を深めることになった。私のモスクワの友人たちも私がイスラエルとの関係を深めることを歓迎した。頻繁にテルアビブやエルサレムを訪れるようになり、閣僚級を含む多くのロシア系イスラエル人と交遊を結んだ。
彼らが異口同音にイスラエルにおけるロシア問題の第一人者として称讃していたのがガブリエル・ゴロデツキー・テルアビブ大学教授だった。
イスラエルの主要大学はヘブライ大学(エルサレム)とテルアビブ大学である。テルアビブ大学の方が新しく、政府、軍、産業界との結びつきが強い。イスラエルアメリカ同様に政治エリートと学術エリートが相互乗り入れしているため、大学が政府の政策策定に与える影響は大きいのである。
また、周囲を敵に囲まれているイスラエルは、国家全体が常に神経を張りつめ緊張状態に置かれている。そのため、情報に対して非常に敏感なのである。政府部内でも一部の人間にしかその存在が知られていない秘密機関、あるいは機関名は公表されていても活動がほとんど知らされていない組織も多数ある。
イスラエルは、ある意味でアメリカ型民主主義が最も浸透した国で、情報公開に対する国民の要請も強いが、国家安全保障に関する事項については、政府が秘密活動を行うことを国民のほとんどが認めている。そして、テルアビブ大学はこれら政府機関への人材供給源になっているのである。

私がガブリエル・ゴロデツキー教授の名前を知ったのは、モスクワ在勤時代のことだった。
80年代半ばにソ連参謀本部諜報総局(GRU)からの亡命者ビクトル・スボーロフ氏が『アクバリウム(水族館・GRU本部を指す隠語)』という内幕本をイギリスで発表した(邦訳『GRU』 講談社、1985年)。GRUについては、これまでも種々の憶測がなされていたが、元将校の内幕本は初めてなので、大きな話題になった。この本の信憑性は高いというのがソ連ウオッチャーの見立てだった。
しかし、ゴロデツキー教授が、著者の履歴、公開されたモスクワの軍事文書資料と照らし合わせて、スボーロフの著述の大部分は、西側において作られた作文だと批判、これをきっかけに専門家の間で「スボーロフ論争」が起こったのである。私は、政治的には反ソ・反共だが、実証的に西側の稚拙な情報操作を批判するゴロデツキー氏の手法に強い関心をもった。

98年3月中旬、私はテルアビブ大学カミングス・ロシア東欧センターにガブリエル・ゴロデツキー教授を訪ねた。その日は陽射しが強く日本の7月のようであった。ゴロデッキー教授は開襟シャツ姿で、私を案内してくれたイスラエル政府関係者が教え子だったこともあり、ざっくばらんにロシア政局について話を始めた。
イスラエルという国は、国民が「イスラエル村」と呼ぶほど、国の規模が小さい。そのなかでも政治・学術エリートは数が限られているだけに、お互いに面識をもっていることが多い。エリート同士、お互いの能力、性格を知り尽くしているケースも珍しくない。こうしたエリートたちの職場では、通常ファーストネームで呼び合うため、お互いの姓を知らないことすらある。テルアビブ大学関係者もイスラエル政府のロシア専門家も「ゴロデツキー教授」とか「ゴロデツキー博士」とは呼びかけず、「ガビー」と呼んでいた。私も、親しくなるにつれて教授をガビーと呼ぶようになった。
この当時は、よく知らなかったが、本当に親しくなるとユダヤ人は人を紹介するときに独特の方法をとる。事前連絡は、「サトウは僕の友だちだ。話を聞いてやってくれ。よろしく」というだけである。紹介された人に会ってから、自分自身で私が何者であるかを含め、必要なことを説明するのである。
ユダヤ人に言わせると、「細かいことを紹介状に書いても、説明しつくせないし、それに間違えて、あなたが秘密にしておいて欲しいことについて書いてしまったら、取り返しがつかなくなる。だから必要なことはあなたが自分で説明すればいいのさ。僕たちも名刺に添え書きをしたり、紹介状を書くこともあるが、そういう紹介はほんとうの紹介じゃないんだ。但し、紹介された人が相手に迷惑をかけた場合、紹介者は全責任を負う。だから人を紹介する場合にはとても慎重になるんだ」ということだった。
私の場合でも、ユダヤ人がこのような形で人を紹介してくれるようになるまでは相当時間がかかった。但し、いったん「身内」として認知されると、その先は急速にネットワークが広がる。因みにこの紹介のやり方は、実はロシアの政治・学術エリートの世界にも共通している。ロシアでもイスラエルでも「友だち」という言葉には特別の重みがあった。
イスラエルのロシア専門家は、アカデミズムのみならず、軍隊でも、政府機関でもゴロデツキー教授の教え子たちによって占められており、「ゴロデツキー・ファミリー」を形成していた。
カミングス・ロシア東欧センターにはゴロデツキー教授以外にも国際的に著名な学者が何人かいた。ヤコブ・ロイ教授は、旧ソ連イスラーム地域に関する専門家で、チェチェン問題や中央アジアにおけるイスラーム原理主義が引き起こす不安定要因について、80年代から先駆的研究を行っていた。また、イスラエル参謀本部軍事研究所の教授を兼任するシモン・ナベー准将は、ロシア軍事政策の第一人者で、同時にイスラエルの国防ドクトリン改訂作業チームの座長をつとめる、政策に影響を与える学者だった。しかし、日本政府はもとより日本の大学関係者もこれまでカミングス・ロシア東欧センターとの間でキチンとした人脈をつくってはいなかった。

私はゴロデツキー教授にロシア語で話しかけた。
ゴロデツキー氏は英語訛の強いロシア語で、「私の父親はロシア革命直後にエルサレムに移住したので、私はロシア語をうまく話せないのです。1968年に政府交換留学生としてモスクワに留学する予定だったのですが、その直前にソ連イスラエルと国交を断絶したので、ロシアを自分の目で見たのがゴルバチョフ時代になってからです。このときはまだ国交はなかったのですが、モスクワで長期にわたって公文書館で資料を調べる許可がでました」と応えた。
私は英語に切り替えた。ゴロデッキー教授は、「オックス・ブリッジ・イングリッシュ」と言われるイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学出身者に特有のちょっと鼻にかかった音で、話のあちこちに隠喩やユーモアを入れながら話す典型的な英国紳士だ。話だけを聞いているのでは、ゴロデツキー氏がイスラエル人であることに誰も気付かないだろう。

 


解説
専門家以外の人にとって、イスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンとこないにちがいない。その意味で、ワイドショーや週刊誌の報道が「ロシアとは無関係なイスラエルの学会に行ったのはけしからん、本当の目的は観光旅行だったのだろう」という内容になるのも仕方のないことだった。ユダヤ人問題に興味を持たない人々にとってはなかなか理解しづらいことなのだ。そこで、まず、ロシア・イスラエル関係についての説明から始めることにする。

たしかに、我々一般人にはイスラエルとロシアが特別な関係にあることはなかなかピンときません。
佐藤優氏の説明は、論理的で分かりやすいです。

 

獅子風蓮