
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
2018年5月17日 投稿
友岡雅弥
天国はどこにあるのかと、ファリサイ派の人から問いただされたとき、イエスはこう言いました。
「天国は、はっきりと目に見える形では存在しない。『ここにある』とか『あそこにある』とか言えるような類いのものではありません。天国は、あなたたちの間にあるのです」
(ルカ 17.20-21)
「ルカによる福音書」が伝える、このイエスの考えによると、人と人との関係が、平等で、フラットで、開放的で、解放的で、支えあう関係ならば、そこが「天国」なわけです。
逆に、支配やハラスメント、また表面上はやさしいように見えるものの、実際は「上から目線」の「援助」とかの場合、その関係こそ「地獄」と言えるものでしょう。
「ルカ」の18には、次のようなイエスが語った例え話が出てきます。
二人の人がいる。一人は、ファリサイ派の人で、神殿に堂々と立ち、次のような祈りを神に捧げる。
「神よ、あなたに感謝します。私は他の人のように不正や悪事を行うことなく生きてくることができました。ここにいる徴税人(当時、徴税人は、身分が低く差別された人がなった)のように賤しくもならずに生きてくることができました。私は、律法の決まりを守り、断食をなし、律法の決まり通りの額の奉納をきちんとすることができました」
もう一人は、貧しい徴税人。
彼は、神殿に立つこともせず、遠くから、伏目がちにうつむきながら、自分の胸を後悔の思いで打ちながら、こう祈る。
「神様、私は道を外れた生き方をしています。お許しください」
このうち、神により心解きほぐされて帰ってきたのは、貧しい徴税人でした。
前者は、当時のユダヤ教律法主義の規範を守るいわば「模範的信者」といえる人です。
しかし、後者は、貧しさゆえに、また社会的に差別されている生活ゆえに、様々に道を踏み外す人でもあったのでしょう。
しかし、彼は、そのことを「包み隠すことなく」神に、語りかけるのです。
「天国」というのは、このような人の周囲に作られていくのでしょう。また、逆に、 このように、様々な困難の人生を生きている人の周囲に、私たちが作って行くべきものなのでしょう。
【解説】
私も、聖書に描かれるイエスの言葉に真実を見出すことが多いです。
創価学会では、従来キリスト教は「外道」もしくは「低級の教え」として見下していました。
現在では、だいぶ友好的にはなってきましたが、友岡さんのように正面からキリストの教えを評価する人は多くないかもしれません。
友岡さんによる再構築された「宗教批判の論理」を聞いてみたかったです。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮