獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

「竹入元公明党委員長回顧録」を読む その8


断捨離の一環として古い資料を整理していたら、朝日新聞の古い切り抜きを見つけました。
「竹入元公明党委員長回顧録」です。
この新聞記事がきっかけになって竹入氏は池田大作の怒りを買い、創価学会公明党から激しいバッシングを受けます。
それはひどいもので、人格攻撃から家族への攻撃にまで発展しました。

しかし、原資料である、この新聞記事を読むことはネットを駆使しても難しいです。
竹入氏は、回顧録を出版することはせず、鬼籍に入られました。

今回、貴重な資料を共有したいと考え、記事を文字起こししました。
お付き合いください。

 


秘話

55年体制のはざまで⑧ 

1998年(平成10年)9月10日
竹入義勝

 

 

 



【日中橋渡し】中国草案に頭クラク

1972年7月25日に、香港経由で中国入りした。その日のうちに北京に着き、当時の最短記録を作った。宿舎には廖承志・中日友好協会会長が待ちうけていた。最初の会談で日中国交正常化に対する私の考え方を説明した。出発前に田中角栄首相と会談したが、政府案を入手できず、示したのは竹入私案だった。日米安保条約は認める、日華条約は破棄しない、など十数項目を並べた。

  □  ■  □

27日に周恩来首相と会談した。会談で一番恐れていたのは「田中首相の決意を聞かせてくれ」と聞かれることだった。幸いにその質問はなかった。日米安保条約の関係では、周首相は「もし米国がクレームを付けるようだったら、大統領らに直接話をする」といった。日米安保の意味が米中和解で様変わりしていた。米帝侵略主義といった批判的な言葉も出てこなかった。対ソ封じ込めを意識して、米中、日中の正常化を急いでいた。
三回目の本会談の前に夕食会があった。周首相は「日本の桜にはぼんぼりがよく似合う。今日は私がぼんぼりに灯をつけてさしあげます」とあいさつした。桜を公明党にたとえた発言だ。「十年来、医者から酒は禁じられているが、今日は飲みましょう」といって杯を傾けた。
「それでは中国側の考えを示しましょう。これは毛沢東主席の批准をうけたものです」。本会談で周首相はいった。読みはじめたのは、国交正常化の共同声明に向けての中国側草案そのものなのだ。まさに共同声明の交渉になっていた。周首相は完全に私を特使と思っている。つらかった。一番おどろいたのは賠償放棄の申し出で、周首相は「中国は日清戦争で賠償を払ったが、中国民衆はいかに苦しんだか。いかに過酷であったか。日本国民にそれを求める気はない。戦争の責任は国民にはない。一部の軍国主義者の責任だ」と説明した。私は五百億ドルは払わなければと思っていたので、全く予想もしない回答に頭がクラクラした。周首相は「田中さんに恥をかかせませんから、安心して中国に来てください」と自信たっぷりにいった。正木良明政審会長らは「その時、歴史の歯車がきりきり回るのを聞いた」とよく言ったものだが、私の頭の中は真っ白。中国側が要求をほとんど受け入れてくれたのに、田中さんが来なかったらどうするか。そうなったら死ぬしかないな……と思った。
尖閣諸島の帰属では「歴史上も文献からしても日本の固有の領土だ」というと、周さんはニヤニヤ笑うだけだ。「釣魚島は昔から中国の領土で、見解を変えるわけにはいかない。 際限なくぶつかりあうだけなので、棚上げして、後の賢い人たちに任せましょう」。譲る考えを見せなかった。

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メモ読み田中も訪中決断

人民大会堂のエレベーターを出たところで、周首相に私は呼び戻された。「竹入さん。中国はいつまでもこのままではいませんからね」といわれた。私は「そうですか。周首相もお体を大切に」と別れの言葉をいった。私は、田中さんをどう説得するかの一点に意識が集中し、周首相の考えには思い及ばなかった。この最後の言葉は、周さんの中国の未来にかけた万感の思いがこもった言葉だったのではないか。遺言だったのだろう。
帰国翌日の8月4日、首相官邸に報告に行った。田中さんに会談記録を見せた。「じっくり読ませてもらうよ」。大平正芳外相は、中国側の考えを個条書きにした紙を熱心に見ていて、「竹入さん、これちょうだいします」と背広の内ポケットに入れて、すぐ外務省に帰っていった。よほどうれしかったのに違いない。
翌日、田中さんとホテルで会った。
「読ませてもらった。この記録のやりとりは間違いないな」
「一字一句間違いない。中国側と厳密に照合してある」
「間違いないな。おまえは日本人だな」
「何を言うか。正真正銘の日本人だぞ」
「わかった。中国に行く」
「本当に行くのか」
国慶節でもかまわないのか」
「向こうは国慶節でもかまわないといっている。行くのは間違いないな」
「行く」
行くという発言で命拾いした感じだった。
田中さんが訪中し北京に降り立ったときは涙が出た。周首相の条件をのめば正常化できると思った。だが、レセプションのあいさつで日本の戦争責任について「ご迷惑をかけた」と軽い表現しかせず、中国側が反発していると聞いて、これではだめだと思った。2千万人以上といわれる死者を出し、日本が一方的に侵略しているわけだ。「心からおわびする」ときちんといえばよかった。

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私は首相特使もどきのことまでやって正常化の橋渡しをやったが、いま考えても冷や汗が出る。あの時期に国交正常化できる人間は田中さん以外にいなかった。日中正常化がもたらした様々な影響を考えると、よく決断してくれたと感謝したい。正常化に微力を尽くすことができて政治家みょうりに尽きる。国民の期待にこたえたと自負している。

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中国の真意初めてわかる

竹入氏が周首相から伝えられた日中共同声明の原案は「竹入メモ」と言われ、当時の外務省幹部も中国側の真意が初めてわかった貴重な資料と認めている。八項目の内容は次の通り。

中華人民共和国と日本国との間の戦争状態は、この声明が公表される日に終了する

②日本政府は、中華人民共和国政府が提出した中日国交回復の三原則を十分に理解し、中華人民共和国政府が、中国を代表する唯一の合法政府であることを承認する。これに基づき両国政府は、外交関係を樹立し、大使を交換する

③双方は、中日両国の国交の樹立が、両国人民の長期にわたる願望にも合致し、世界各国人民の利益にも合致することを声明する

④双方は、主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政の相互不干渉、平等・互恵、平和共存の五原則に基づいて、中日両国の関係を処理することに同意する。中日両国間の紛争は五原則に基づき、平和的な話し合いを通じて解決し、武力や武力による威嚇に訴えな い。

⑤双方は、中日両国のどちらの側もアジア太平洋地域で覇権を求めず、いずれの側も他のいかなる国、あるいは国家集団が、こうした覇権をうちたてようとすることに反対するという ことを声明する

⑥双方は両国の外交関係が樹立された後、平和共存の五原則に基づいて、平和友好条約を締結することに同意する

⑦中日両国人民の友誼(ゆうぎ)のため、中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠 償の請求権を放棄する

中華人民共和国政府と日本国政府は、両国間の経済と文化関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、平和友好条約が締結される前に必要と既存の取り決めに基づいて通商、航海、航空、気象、漁業、郵便、科学技術などの協定をそれぞれ締結する。


(聞き手・構成:小林暉昌編集委員

 


解説

竹入氏が、日中国交正常化に大きな役割を果たしたことが分かります。

創価学会公明党はそのことを誇りに思っていいし、世間的にも竹入氏の功績をもっと認めるべきだと思います。


獅子風蓮