ウクライナと中東で戦争が止まらない世界に、何かが間違っている、なんとかしないといけないと思うこの頃ですが、こんなとき、池田先生のハーバード大学でのスピーチを読み返してみたくなります。
池田先生のハーバード大学でのスピーチには2つありますが、まずは1991年に行われた「ソフトパワーの時代と哲学」を読んでみたいと思います。
これは、軍事などのハードパワーに頼らない方向性を指し示したもので、時代を超えた普遍性をもつ内容です。
1991年(平成3年)9月26日 ハーバード大学 (アメリカ)
講演「ソフト・パワーの時代と哲学」 ハーバード大学での記念講演

(写真は同サイトより)
(つづきです)
“内発の力”育む哲学の復権
ハード・パワーというものの習性は“外発的”に、時には“外圧的”に人間をある方向へ動かしますが、それとは逆に、人間同士の合意と納得による“内発的”な促し、内発的なエネルギーを軸とするところに、ソフト・パワーの大きな特徴があります。
このことは古来、人間の精神性や宗教性に根差した広い意味での哲学の本領とするところでありました。ソフト・パワーの時代とはいえ、そうした哲学を欠けば、つまり、人間の側からの“内発的”な対応がなければ、知識や情報がいかに豊富でも、例えば容易に権力による情報操作を許し、“笑顔のファシズム”さえ招来しかねないのであります。
その意味からも、ソフト・パワーの時代を支え、加速していけるか否かは、あげて哲学の双肩にかかっているといっても過言ではないでしょう。
この“内発性”と“外発性”の問題を鋭くかつ象徴的に提起しているのが、有名な「良心例学」――事にあたっての良心の在り方を、あらかじめ判例として決めておくこと――をめぐるパスカルのジェスイット攻撃ではないでしょうか。
周知のようにジェスイットは、信仰や布教に際して、良心の従うべき判例の体系を豊富に整えておりますが、パスカルは、内なる魂のあり方を重視するジャンセニストの立場から、ジェスイット流のそうした外面的規範や戒律が、本来の信仰をどんなに歪めているかを力説してやまないのであります。
例えばインドや中国における「良心例学」を、パスカルは、こう攻撃します。
「かれら(=ジェスイット)は偶像崇拝を、次のような巧妙なくふうをこらしてさえ、信者たちに許しているのです。衣服の下にイエス・キリストの御姿をかくしもたせ、公には釈迦や孔子の像を礼拝するとみせて、心のなかではイエス・キリストの御姿を礼拝するように教えているのです」(『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳、『世界文学大系』13所収、筑摩書房)と。
パスカルは、異国におけるそのような信仰の在り方そのものを、必ずしも非難しているのではない。確かに、そのような、やむを得ぬ選択を余儀なくされる場合もあるかもしれないが、そこに至るまでに多くの良心の苦悩や葛藤、逡巡、熟慮、決断があるはずである。それは、良心の内発的な働きそのものである。にもかかわらず、そうした選択の基準を、あらかじめ判例として外発的に与えられてしまうと、安易にそれに依存する結果、良心の働きは逼塞させられ、マヒし堕落してしまう。
「易きをもとめる多数」へのおもねりでしかない「良心例学」とは、従ってパスカルにとって、良心の自殺的行為にほかなりませんでした。
こうしたパスカルの論難は、単にジェスイットやジャンセニストの争いという次元を超えて、広く人間の普遍的な良心の在り方という点で、実に多くの示唆を含んでいると私は思います。パスカルほどの純粋さは望みうべくもないにしても、こうした内発的な魂の働きが一個の時代精神に結晶し、社会に生気を与えている例は、史上極めて稀ではないでしょうか。その数少ない例証の一つを、私は1830年代のアメリカ社会を訪れ比類のない分析を加えた、フランスの歴史家トクヴィルの古典的名著『アメリカの民主政治』の描写に見いだすのであります。
いうまでもなく、19世紀初めの建国後半世紀のアメリカを訪問したトクヴィルに最も印象深かったのは、母国フランスとは様変わりした、かの地の宗教事情、宗教的様相であった。
その驚きを彼は、「宗教は外見的な力をへらすことによってその実力を増すようなことにどうしてなりうるのか」(井伊玄太郎訳、講談社学術文庫)という疑問として投げかけております。
すなわち、フランスでは、宗教が教会のもとでの多くの煩瑣な儀礼、形式と化し、ややもすれば、魂の桎梏となるきらいがあった。ゆえに、宗教の外見的な力を減らすことは、そのまま宗教からの解放、信仰心の衰弱を意味していた。
しかし、新興国アメリカでは、逆に儀礼や形式を少なくすればするほどに、人々の信仰心は横溢してくるようである。
彼は言います。「アメリカ連邦においてほどに、キリスト教が形式と儀礼と像とを少ししか含んでいない国は他にどこにもない。そしてまたここほどに、キリスト教が人間の精神に対して明確で単純な、そして一般的な理念をあらわしている国も、他のどこにも見られない」(同前)と。
トクヴィルの指摘は、一応、フランスにおけるカソリシズムの形骸化と、アメリカにおけるピューリタニズムの隆盛を言っているもののようですが、もう一歩敷衍して考えれば、信仰における“内発的なるもの”が、最も純粋な形で時代精神へと結晶していることへの感嘆といえましょう。
ともあれ宗教の名に値する宗教であるかぎり、パーソナル(個人的)な側面とインスティテューショナル(制度的)な側面とをもちます。
高等宗教は、必ず、何らかの絶対的なるもののもとに、すべての人種、身分、階級を超えた個の尊厳を説きますが、それと同時に、宗教が運動体として展開し始めると、必然的に制度化の要請が生じてくる。
しかし、制度的側面は、時代とともに刻々と変化するものであり、個人的側面を「主」とすれば、どちらかといえば「従」であります。
にもかかわらず、ほとんどの宗教が陥ってきたのは、制度的な側面が硬直化することによって、制度が人間を拘束し、宗教本来の純粋な信仰心が失われてくるという本末転倒であります。制度や儀礼などの外発的な力が、信仰心という内発的な力を抑え込んでしまうわけであります。
トクヴィルが特筆大書していることは、当時のアメリカの宗教事情ほど、こうした本末転倒の悪弊に陥らず、信仰そのものの純粋さが毀たれていない社会は稀であるということです。そうした時代精神を背景にして初めて「私のうちに神を示すものが、私を力づける。私の外に神を示すものは、私を、いぼや瘤のように、小さなものとする」(『エマソン選集』1、斉藤光訳、日本教文社)といった、エマーソンの“内発的なるもの”を謳い上げたおおらかな楽観主義も生まれたと思われます。
確かにそうした事情は、海の凪にたとえられるかも
しれない。
おそらく、それ以前の公認宗教としての政教一致的色彩の強い流れと、それ以後の世俗化のなかで内面的な私事へと矮小化されゆく流れとの間に生じた、幸運にして幸福な凪にも似た状況ともいえましょう。
とともに、それは単なる過ぎ去った一時期ではなく、アメリカの人々の歴史意識の深層に貴重な伝統として蓄えられているものと私は信じております。
さて、近代の日本に、そのような精神の内発的発露の例証を求めても、やや無理があるようです。
明治の開国以来、日本は、欧米先進国に追い付け追い越せをスローガンに、近代化の道をひた走ってきました。
そこでは、文豪の夏目漱石がそのものずばりに「外発的開化」と名付けたように、目標や規範は、常に外から与えられ、内発的なものを育んでいく余裕も時間もなかった。
ここでも、一つのエピソード、明治時代の新渡戸稲造をめぐるエピソードを紹介させていただきたい。
ご存じのように新渡戸は“太平洋に友好の虹をかけよう”と、揺籃期の日米関係の改善に奔走した人物でありますが、彼がベルギーの知人と宗教について話していたとき、「あなたのお国の学校には宗教教育はないのか」と聞かれ、内省の果てに見いだしたのが、宗教に代わって江戸期に形成され明治の末年まで日本人の精神形成にあずかって力あった武士道でした。そこで彼は『武士道日本の魂』という本を著し、副題に「日本思想の解明」と銘打ったのであります。
その内容は略しますが、広い意味での武士道の精神性が、プロテスタンティズムやピューリタニズムと、幾つかの共通点をもっていたことは、明治の日本での、フランクリンの熱狂的な迎えられ方に象徴されております。
それにもまして、私が本論の文脈で強調しておきたいのは、武士道による精神形成が、日本人にとって内発的であったということであります。内発的とは自制的ということであり、他から強制されて何かをするのではなく、自律的にそうするのであります。
武士道が形成されていった江戸時代の日本で、汚職や犯罪が現代とは比較にならぬくらい少なかったということは、社会に内発的な力が働いていた証左といえましょう。
そのことは、また私に「アメリカ連邦におけるほどに、刑法が寛大に施行されているところは、他にはない」(井伊玄太郎訳、前掲書、趣意)とのトクヴィルの言葉を想起させるのであります。
精神の働きが内発的であったがゆえに、人々は自己を律するに過つこと少なく、人間の証ともいうべき克己のかたちに無理がなかった。
ゆえに、人間関係はさしたる摩擦も不安もなく円滑に営まれ、そこに形成される文化のかたちは、日本独自の美しさと魅力をたたえていました。
貴大学出身で、大森貝塚の発見者のE・S・モースが日本の庶民社会の中に見いだした驚くべき美風も、W・ホイットマンが、マンハッタンの大通りを行く日本の使節から感じ取った気品も、みなこの文化のかたちに根差していたのであります。
以来、百幾星霜、ともあれ現在の日米間には、基本的に友好関係が保たれているとはいえ、日本の経済力の増大につれて、とみに不協和音が目立つようになりました。
最近の構造協議などを通じて浮かび上がってくる問題は、貿易摩擦というよりも、文化摩擦の次元にまで及んでいる。
文化といっても、必ずしも友好を促すとは限らず、固有の生活様式に深く根差した部分に及んでいくとき、異文化同士の接触は、しばしば嫌悪と反目を呼び起こすものであります。
異文化同士が衝突し、そうした一種のハレーション(混乱状態)を起こした時ほど、深く、内発的な自己規律、自己制御の心が人々に要請される時はない。
パートナー・シップといったところで、そうした精神面での裏打ちがなされていなければ、所詮、絵にかいた餅に終わってしまうでしょう。
また、それを欠いたがゆえに、近代日本は、ある時は外国に対していたずらに自らを卑下したり、そうかと思うとGNP大国など些細なことで傲りたかぶったりして、不信と過信との間を揺れ動いてきました。
一言にしていえば、自己規律の哲学を欠いているのであります。
その無残なカタストロフィー(破局)が、今年でちょうど50年目を迎えた、かの真珠湾攻撃であったことを、私は深い胸の痛みとともに思い起こすのであります。
ちなみに『武士道』といえば、この小さな本が、日露戦争終結のためのポーツマス会談で、なかなか小気味よい役割を演じたことを、皆さまはご存じと思います。
開戦直後、来るべき講和への仲裁の労をセオドア・ルーズベルト大統領に期待した日本政府は、大統領とハーバード大学の同窓生で、その後、交際を深めていた貴族院議員の金子堅太郎をアメリカへ派遣しました。大統領は、快くその依頼を受けたうえで「日本人の性格やその精神教育面での原動力となっているもの等について紹介した書物」(松村正義『日露戦争と金子堅太郎』新有堂)を所望したところ、金子が渡したのが『武士道』であった。
数カ月後、金子に会った大統領は「この本を読んで、日本人の徳性をよく知ることができた」とも言い、喜んで講和への働きかけをしてくださったのであります。
このエピソードは、決して波穏やかでなかった日米近代史にさわやかな彩りを添えております。
新渡戸が先駆的な教育者であったことを思うにつけ、モンゴメリー教授に所長をお願いしている私どもの創価大学ロサンゼルス分校の環太平洋平和・文化研究センターも、日米新時代に虹をかける労作業の一端を担うべく、全力の貢献を期するものであります。
(つづく)
【解説】
その数少ない例証の一つを、私は1830年代のアメリカ社会を訪れ比類のない分析を加えた、フランスの歴史家トクヴィルの古典的名著『アメリカの民主政治』の描写に見いだすのであります。
(中略)
しかし、新興国アメリカでは、逆に儀礼や形式を少なくすればするほどに、人々の信仰心は横溢してくるようである。
彼は言います。「アメリカ連邦においてほどに、キリスト教が形式と儀礼と像とを少ししか含んでいない国は他にどこにもない。そしてまたここほどに、キリスト教が人間の精神に対して明確で単純な、そして一般的な理念をあらわしている国も、他のどこにも見られない」(同前)と。
スピーチの作者はこのようにアメリカのキリスト教の信仰心の厚かった時期のことを賞賛しています。
仮にそうだったとしても、現在のアメリカ人とりわけトランプ大統領が、どうしても信仰心に厚いとは思われません。
キリスト教の信仰心ゆえに戦争に向かうというなら、そんな信仰など糞くらえです。
1830年代のアメリカ社会という期間限定的ではありますが、スピーチの作者はアメリカのキリスト教徒に阿っているような印象を受けます。
獅子風蓮