獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

友岡雅弥さんの「異者の旗」その82)原文を読んだら、なーんだ。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

freak82- 「文上」と「文底」その2

2019年2月14日 投稿
友岡雅弥

 

「文上」と「文底」という言葉の導入部で、7割8割、割いてしまいました。

そして、今までの説明の他に、言葉の歴史的変遷というものもあります。

例えば、「塔婆」ですが、あれはもともとストゥーパで、「仏塔」のことです。

日本でも奈良、平安時代は、塔のことです。

鎌倉時代は、大聖人の御書に「去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば」(p.1335)とありますが、これも、今の、墓石の後ろとかに立てる「スキー板の親玉」(九代目桂文治師)みたいな板とかではありません。


丈六、一丈六尺ですからね。5メートル近いわけです。

これは、石碑みたいなものと推察されます。

平安までは、お金持ちしか、お墓や記念碑やお堂は建てられませんでした。あとは、野にうち捨てです。それが、そんな差別が有っていいのかということで、だいたい鎌倉時代になって、いきた証を、一般庶民も立てる(建てる)ことができるようになったのです。

もう一つ、「御前の十三年」というのは、江戸時代以降の回忌法要とは違いますよ。 鎌倉時代の一般の人たちは、多くの仏や菩薩に救われたいということで、死んだときには、なになに仏の法要を営み、二年目にはなになに菩薩の法要を営み、「担当の仏・菩薩」がいたわけです。


ほんとにそうではないですよ。そう一般的に習慣化されていたわけです。


13年目は、阿弥陀仏か、大日如来だったと思います。


このお手紙をいただいた、中興入道夫妻は、娘が亡くなって13年目に、世間では阿弥陀仏とか、大日如来の法要を営むときに、わざわざ5メートルの石塔を立てて、そこに「南無妙法蓮華経」と刻んだんです。


つまり、「亡くなって13年に、塔婆を立てて南無妙法蓮華経と書いた」と書いてあっても、それは、今のいわゆる「葬式仏教」が、「故人の十三回忌ですから、お寺に来て南無妙法蓮華経と私たちが書いた板塔婆を供養しなさい」というのと、全然違いますよね。


まず、坊さんが立てたのではなく、僧侶の介在なしに、おそらく石屋さんかなにかを呼んで、世間的には、阿弥陀か大日のところを、犯罪者として、佐渡に流されていた 「日蓮」の唱える「南無妙法蓮華経」の、巨大石碑を立てた、亡き娘の生きた証として。

というわけです。


そんなん見つかったら、犯罪者の仲間として、世間からどんな目にあわされるか。

そんなことに思いを馳せながら読んでみてください。

つまり、「とうば」と書いてあっても、今の塔婆ではなく、

それは「日蓮の弟子として娘は生きました。私たちもです」という、石に刻まれた宣言なわけです。


さて、最後になりましたが、「文上」「文底」です。

これね、御書の御文をそのまま読めばいいわけです。 p.189の有名な御文です。


一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹・天親知つて、しかもいまだひろい・いださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。


大聖人が沈めたんとちゃいますね。

大聖人は、沈められたものを、拾い出したんです。

大聖人は、文底秘沈ですか?

文底秘沈されていたもの(一念三千の法門)を、はっきりと、分かりやすい形で、出したのですよ。

いわば、文底秘沈されていたものを、言語化して、開顕したんです。「文上開顕」です。

この文上は、「辞書的意味の文上」ではなく、もっと本質的意味ですね。

すべての人に平等に、分かりやすく開いたという意味です。


あえて、「文上」というい言葉を使いました。何度もいいますけど、「辞書的意味の文上」ではないです。

「文底秘沈」という変に神秘的なニュアンスに対する批判として、あえて、誤解を恐れずに、「文上」という言葉を使いました。


この批判という社会性を踏まえて、パフォーマティブな意味で、あえて「文上」という言葉を使いました。


まあ、問題というのは、「文上」「文底」という言葉が、大聖人以後の、日興門流が、中古天台ずりになり、教判として、文上は釈迦、文底は久遠元初の自受用身如来というような、教相判釈として、かなり離れた意味で使われ出して、混同が起こってきたんです。


あっさりと、原文を読んだら、なーんだ。みたいな話だと思うんです。


大聖人って、すごいでしょう。創造神みたいな、全王様みたいな神様ではなく、旃陀羅が子として生まれ、身を賭して、衆生救済に人生をかけたんです。だから本仏なんですよ。

 

 

 



解説
問題というのは、「文上」「文底」という言葉が、大聖人以後の、日興門流が、中古天台ずりになり、教判として、文上は釈迦、文底は久遠元初の自受用身如来というような、教相判釈として、かなり離れた意味で使われ出して、混同が起こってきたんです。

あっさりと、原文を読んだら、なーんだ。みたいな話だと思うんです。

このへんは、難しくてよく分かりません。
今後の課題とさせていただきます。


友岡雅弥さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮