佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
今回は、この本です。
佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。
『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。
以下、かいつまんで紹介します。
『十五の夏』
□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後
第6章 日ソ友の会
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参議院の議事録を読んで、僕はだんだん気持ちが沈んでいった。シベリア抑留には、何か途方もない闇が潜んでいるように思えてきたからだ。第6特別収容所にはどのような人たちがいたのだろうか。僕は議事録の続きを読んだ。
〈○北條秀一君 関連しまして……その刑を受けた者の中で一番軽い刑の人は何年であったか、一番重い刑の人は何年であったか、その点を……
○証人(日下敬助君) 今全般的な問題として私が知っている範囲についてお答え申します。これは六分所の者のみの入った監獄に入っておるときに聞いた者まで含めて、一番軽いのが5年、その5年というのは小松という男ですが、年は当時23歳。その人に会ったのは48年の3月4日です。その人の罪状は項目は忘れましたが、奉天にあったテロ事件について刑を受けたもの、奉天にテロ事件があったのは御承知だと思いますから、内容は略します。そのうちで小松さんは奉天にこういう事件が起るということを前以て知っておったにも拘わらず、それをソ連側に通知しなかったということによって判決を受けた。それが一番軽い。
○北條秀一君 長い方は……
○証人(日下敬助君) 長い方は25年、大部分は25年の刑を受けた。5年の刑を受けておったのは私が知っている範囲ではその人一人です。〉
日本では、無期懲役刑でも10年で仮出獄ができる(1975年時点)。25年も監獄に入れられるなどというのは、想像を絶する苦しみだ。しかもシベリアだから冬はマイナス30度以下になることもある。こんな環境では25年の刑期を終える前に死んでしまうことになる。日下さんは、10年の刑を言い渡されている。第6特別収容所にいた囚人の中では、軽い方なのだろう。
(つづく)
【解説】
佐藤少年は、日ソ友の会で知り合った日下敬助氏のシベリア抑留時代のことが気になって、図書館に行き、国会の議事録を調べています。
獅子風蓮