
佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
まずは、この本です。

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。
国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
■第4章 「国策捜査」開始
□収監
□シベリア・ネコの顔
□前哨戦
□週末の攻防
□クオーター化の原則
□「奇妙な取り調べ」の始まり
□二つのシナリオ
□真剣勝負
■守られなかった情報源
□条約課とのいざこざ
□「迎合」という落とし所
□チームリーダーとして
□「起訴」と自ら申し出た「勾留延長」
□東郷氏の供述
□袴田氏の二元外交批判
□鈴木宗男氏の逮捕
□奇妙な共同作業
□外務省に突きつけた「面会拒否宣言」
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。
第4章 「国策捜査」開始
守られなかった情報源
5月28日の取り調べでは、調書はとられなかった。西村検事から「あなたは違法性についてどう考えているか」と問われたので「違法性認識は全くない」と答えた。それから、外務省が私の報償費(機密費)に関する領収書を全て任意提出したということを伝え、その一部を私に提示した。私の情報源の名前も記載されていた。
外務省が「門外不出にする」といった書類が検察に渡されたことは、私にとって大きなショックだった。因みに後に外務省は東郷氏の報償費に関する領収書も検察に提出したが、私の場合と異なり、それらにおいては情報源の部分に墨塗りがなされていた。とにかく、これで外務省が私のみでなく、私の情報源をも守らないことが明らかになった。
外務省の報償費(機密費)については、内規で領収書の提出と提供先の実名記載が求められていたので、私は万一の場合に備えて、本当に危険な工作活動に関しては外務省のカネを使わなかった。しかし、検察が入手している報償費関連領収書の取扱い如何によっても今後の日本の外交、情報活動に支障が生じる。この点をどう押さえ込むかが重要な課題になった。
結論を先に言うと、検察は報償費絡みで事件を作ることは諦めた。この決定の背景には、私が逮捕される直前に起こった「三井事件」の後遺症があることは間違いなかった。検察が組織ぐるみで調査活動費(外務省の報償費に相当)から裏金をつくり、幹部の会食費にあてられていたことを内部告発しようと試みた三井環(みついたまき)大阪高等検察庁公安部長は、この件を暴露するテレビ番組の取材に応じる直前に逮捕された。しかし、こうした対応に検察への国民の不信感は膨らんでいた。そのため、この時期下手に報償費に手をつけるとそれがブーメランとなって検察に還ってくるとの危惧があった。
ただし、当時の鈴木宗男バッシングの嵐の中では、検察に災いが及ばない形で、私を叩く事件を作ることはできた筈だ。しかし、西村検事は、報償費絡みの領収書の取り扱いについては情報源の秘匿ということに最大の配慮を払って取り調べを進めた。報償費はその性格上、「濫用」という話を作りやすいのであるが、西村氏はそのような誘惑に陥らなかったのである。
私は罪証隠滅との言いがかりをつけられるのが嫌だったので、手帳は全て残しておいた。日程を確定するためには手帳の当該ページのコピーを証拠として添付するのが普通であるが、手帳に種々の人名が書かれていることを考慮して、西村検事は手帳のコピーは一切添付しなかった。以前供述した手帳のコピー付き調書については取り直した。西村氏が検察組織の一員としてできる範囲のぎりぎりで私に配慮したことは間違いない。
【解説】】
外務省が私の報償費(機密費)に関する領収書を全て任意提出したということを伝え、その一部を私に提示した。私の情報源の名前も記載されていた。
外務省が「門外不出にする」といった書類が検察に渡されたことは、私にとって大きなショックだった。
佐藤氏は外務省の職員として、ソ連(ロシア)国内で、広義の諜報活動を行っていました。
その協力者から情報を得るために、報償費(機密費)を使って金品を贈ったり飲食の接待をしたこともあったでしょう。
その際の領収書の裏には情報源の名前などが書かれていたわけで、その領収書をそのまま外務省が検察に提出したということは、佐藤氏が一番危惧していたことです。
佐藤氏の情報源が守られなかったということです。
検察は報償費絡みで事件を作ることは諦めた。この決定の背景には、私が逮捕される直前に起こった「三井事件」の後遺症があることは間違いなかった。検察が組織ぐるみで調査活動費(外務省の報償費に相当)から裏金をつくり、幹部の会食費にあてられていたことを内部告発しようと試みた三井環(みついたまき)大阪高等検察庁公安部長は、この件を暴露するテレビ番組の取材に応じる直前に逮捕された。しかし、こうした対応に検察への国民の不信感は膨らんでいた。そのため、この時期下手に報償費に手をつけるとそれがブーメランとなって検察に還ってくるとの危惧があった。
鈴木宗男/佐藤優『政治家抹殺-「再審請求」で見えた永田町の罠』という本には、次のような記述があります。
(魚住昭氏の著書によれば)
「下手をしたら、そうした検察批判の声が大きくなりかねない状況でした。この逮捕を批判する記者たちがマスメディアの主流ではないけど傍流にはいたのです。だから、検察はこうした記者たちの批判の目をそらすために、いろんなところで事件をつくり始めました。鈴木さんの事件はその中で一番大きなものですが、検察はほかにも普段ならハナも引っかけないような案件を独自捜査でどんどんやりだしたんです」
「つまり、検察庁は全国で事件を次々と摘発することによってメディアを味方につけたんです。メディア各社はネタ欲しさに検察にすり寄りますからね。すり寄るということは、『裏金問題を書かない』ということです。検察は意図的、メディアは無意識的にバーターをしたんです。その中で一番大きかったのがムネオ事件だったのです」
つまり、検察は、検察批判のマスコミの目をそらすためにムネオ事件をはじめとする事件をほじくり返して、次々に起訴していったというのです。
案外、これがムネオ事件の本質かもしれません。
獅子風蓮