獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

佐藤優『国家の罠』その95


佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

 

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
■文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


文庫版あとがき――国内亡命者として

(つづきです)

日本政府の一機関である外務省が、鈴木宗男潰しのために革命政党である日本共産党を利用したこの瞬間に日本外務省は内側から崩壊したのである。外務省に頼まれ、北方領土問題で政治的リスクを負い、多大な労力と政治資金を使った政治家が、国賊売国奴として整理されてしまうことは理不尽だ。このような境遇に遭った人の怨念は必ず形になって現れる。『今昔物語』を読むと死霊も恐ろしいが、生霊はもっと恐ろしい。このままでは鈴木宗男氏の生霊が霞が関や永田町周辺を浮遊し、日本外交に大きな災いをもたらすことになると私は本気で心配した。
ここで東京拘置所の独房で読んだ『太平記』の情景がよみがえってきた。建武の中興に着手したが、足利尊氏たちによって京都を追われ、吉野山に朝廷を構えた後醍醐天皇は、『太平記』巻第二十一[後醍醐天皇崩御の事]によれば、1339年9月19日(延元4年8月16日)、〈玉骨はたとひ南山の苔に埋むるとも、霊魄は常に北闕の天に臨まんと思ふなり(我が亡骸はたとい吉野山の苔に埋もれても、我が霊魂は常に北方の皇居の空を望んでいようと思うのである)〉(『太平記③ 新編日本古典文学全集56』小学館、1997年、29頁)と言い残して崩御された。通常、天皇の廟は南向きに作られるが、後醍醐天皇廟だけは北向きに作られている。「いまにみていろ」という思いが籠もっているのだ。京都の北朝では後醍醐天皇の霊魂を慰めるために天竜寺を建立する。しかし、この程度のことで後醍醐天皇の怒りは収まらず、京都では天災地変が続く。朝廷や幕府が当時の有識者と検討したところ、後醍醐天皇をはじめとする南朝の人々の業績が正当に評価されていないため、それが怨念となり、天災地変を引き起こしているのだという結論になった。そして、南禅寺の僧侶を中心とする当時の有識者グループによって書かれ、編纂されたのが『太平記』なのである。
太平記』は、異常なほど細部にこだわり、基本的に北朝側、足利幕府側の視座に立って書かれた物語であるにもかかわらず、後醍醐天皇、大塔宮、楠木正成など現体制に抗った南朝側の人々の業績についても詳細に記されている。真実を詳細に記述し、歴史に記すことが鎮魂で、それによって、地上に起きる災厄を防ぐことができると『太平記』の著者は考えたのである。

本書を書いている過程で、かつての盟友であったが、鈴木宗男バッシングが始まってから態度を豹変し、国策捜査で私が逮捕される前後に検察側に迎合し、私の犯罪を立証するのに協力した人々に対して、私はまったく腹が立たなかった。また、私を叩く記事を書いた新聞や雑誌の記者に対してもまったく腹が立たなかった。東京拘置所で、弁護士との面会に行く途中、私を連行する若い看守が「佐藤さんはいつも平静ですが、かつての仲間の掌返しに遭って、腹を立てないんですか」と聞かれた。私が「仕方ないですよ。こういう状況になれば」と淡々と答えると、看守は怪訝そうな顔をしていた。保釈後、滝田敏幸氏からも、「佐藤、怒りを抑える必要はないよ。ストイックになってストレスを内側にため込まず、感情をもっと表に出せ」と言われたが、私は「ほんとうに怒ってなんかいないんだよ」と答えた。怒りは判断力を狂わせるので、極力もたないようにするという計算が私の内部にあったことも確かだが、それだけでない「何か」が確かにあった。その「何か」を当初、言葉で説明することができなかったのであるが、最近、おぼろげながらその「何か」が見えてきた。「人間の生命は一つであるが、魂は複数ある」とどうも私は考えているようなのである。従って、かつて肝胆相照らし、北方領土の現地工作やクレムリン(ロシア大統領府)へのロビー活動を行っていたときと、鬼の東京地検特捜部の検察官を前にしたときに、かつての盟友たちのそれぞれ別の魂が働いたのでこのようなことになったのだと認識し、納得しているのである。だから腹も立たないのだ。
これは私の中にある沖縄性と密接に関係しているのだと思う。沖縄には独特の人間観がある。一人の人間に魂が複数あるのだ。その一つひとつの魂が個性をもっており、それぞれの生命をもっている。一人の人間は複数の魂に従って、いくつもの人生を送ることができる。複数の魂によって多元性が保証されている。魂の数だけ、真理もあることになる。これに関連して、作家で臨済宗福聚寺副住職の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏が興味深いことを述べている。

〈だいたい、魂が一つしかないということ自体、西洋的な見方にすぎない。ユングもその見方はむしろ世界の少数派だと書いている。沖縄では一人の人間に魂は六つ、ラオスに行けばなんと魂は32あるという。なぜ32なのかは皆目分からないが、それほどあると、なんだか「ゆとり」を感じてしまう。
以前、沖縄でユタの人に見てもらったとき、「あらっ、あなた(魂を)一つ落としているわ」と言われた。そして「高い木から落ちたことがなかったか」と訊かれた。そういえば、私は京都の禅の専門道場での修行時代に、栗の木の枝おろしをやっている最中に、7メートルほど落ちたことがあった。「落ちました」と答えると、「じゃ、住所を書いて」。私が書いた住所の紙にユタは手を当て「ここよ、ここに魂がある」と言う。呼び戻す儀式をしてもらうと、本当に海の向こうから何かが飛んでくる感じがした。その後、痛かった腰が治ったり、確かに体調が良くなった。この体験を科学的に説明しようとすれば、精神的な暗示とかなにかあるのだろうが、それよりも率直に魂が戻ったと考えた方が楽しい。
要するに、土地土地によって、魂のことを語るレトリックがあり、その土地ではその土地に根ざした真理があるのだろう。真理は一つではないと思いたい。
現代の日本人は、「真理は一つだ」という言葉にあまりにも弱い。
真理は一つ、個性は一つ、魂は一つ。商売の仕方ですら一つに統一しようというグローバライゼーションが進行中だ。なんでも一つのものに収斂させたいと、現代人は考えがちだ。
だが、ことによると、魂は6個かもしれないし、32個かもしれないのだ。そう考えた方が人生は豊かになるのではないか。宗教者としては、その豊かさの方を尊びたい。〉(玄侑宗久江原啓之ブームに喝!」、「文藝春秋」、2007年5月号)

ユタとは在野の女性のシャーマンである。死者との交信、霊的観点からの土地に関するアドバイス、結婚、進学、就職などのありとあらゆる人生相談に応じる。沖縄のユタ(霊媒)が言うとおり、一人の人間には六つの魂があるのだ。これは私の実感にも合致する。自らを省みてみても、私には、ナショナリストとしての魂、知識人としての魂、キリスト教徒としての魂があった。外交官、特にインテリジェンス(特殊情報活動)という国益上必要だが汚い仕事に従事するときは、ナショナリストとしての魂が活動していた。モスクワ国立大学哲学部や東京大学教養学部で教鞭をとっていたとき、また、国内外の学会に参加するとき、モスクワやプラハで学者たちと歓談するとき、仕事から帰ってきた後、深夜から未明にかけて哲学書や神学書と向かい合うときには知識人としての魂が機能していた。そして、人生の岐路に立ったときには、その選択をキリスト教徒としての魂を基準に行っていた。これら複数の魂は私の中で、区別されているが分離されずに存在している。沖縄の伝統に従うならば、他にもまだ私自身が気づいていない魂が三つ残っているはずだ。残る三つの魂が睡(ねむ)ったまま私の人生が終わってしまうかもしれないし、あるいはその内、いくつかの魂が頭をもたげ、私の人生に大きな影響を与えるかもしれない。
いずれにせよ、私の中に魂が複数あるということが見えた瞬間に、私の内側から猛烈に「書きたい」という意欲が生まれてきたのである。本書を書いた時点では、表現という仕事の恐ろしさに私は気づいていなかった。当然、職業作家になるなどという発想もなかった。本書に続く書きおろし第二作で、2006年に第5回新潮ドキュメント賞、2007年に第38回大宅壮一ノンフィクション賞をいただいた『自壊する帝国』(新潮社、2006年)を書き終えた時点での「書き続ける理由」についての私の認識は次のようなものだった。

〈前著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を昨2005年3月に上梓したとき、私はこの本が読書界に広く受け入れられることにはならないと予測していた。東京地方検察庁特別捜査部が無謬であるとの神話は根強く、また川口順子外相─竹内行夫事務次官時代に外務省が執拗に展開した「鈴木宗男佐藤優が私的外交を展開し、日本の国益を毀損した」という宣伝・煽動の力を侮ることができないと考えていたからだ。
しかし、私の予想は外れ、『国家の罠』はベストセラーになり、新聞、雑誌、テレビ、ラジオやブログなど、さまざまな媒体で取り上げられただけではなく、第59回毎日新聞出版文化賞特別賞を受賞するという想定外の事態まで起きた。また、私の著作により、「国策捜査」という業界用語が市民権を得たというのも不思議な感じがする。
国家の罠』の読者から手紙や口頭で多くの感想や意見を聞かせていただいた。その中で、『国家の罠』で書かれた以前の、私のモスクワ時代の活動に対する関心が強いことを知って驚いた。最初、モスクワ時代の回想録を書くつもりはなく、中世ラテン語の勉強やチェコプロテスタント神学書の翻訳に取り組もうと思っていたのだが、読者との双方向性を維持したくなり、回想録執筆に取りかかった。〉(『自壊する帝国』、411頁)

この時点では、このような不十分な言葉でしか「書き続ける理由」を説明できなかったが、『自壊する帝国』を執筆した動機は、本書を読んだ読者に対する説明責任を果たすということだけでなく私がソ連崩壊前後に出会い、国家や民族を真剣に考え、歴史の目に見えない大きな力の前で潰されていった人々への鎮魂なのである。この鎮魂作業はまだ続く。本書と『自壊する帝国』との関連では、ソ連崩壊のシナリオを描いたエリツイン政権初期の智恵袋であったブルブリス氏、更に北方領土交渉に政治生命を賭した橋本龍太郎氏、小渕恵三氏、森喜朗氏の魂を慰める作品を新潮社から上梓したいと考えている。二作品になるか、三作品になるか今のところ私には像が見えてこないが、ブルブリスについては既に原稿を少しずつ書き進めている。

(つづく)

 


解説

自らを省みてみても、私には、ナショナリストとしての魂、知識人としての魂、キリスト教徒としての魂があった。外交官、特にインテリジェンス(特殊情報活動)という国益上必要だが汚い仕事に従事するときは、ナショナリストとしての魂が活動していた。モスクワ国立大学哲学部や東京大学教養学部で教鞭をとっていたとき、また、国内外の学会に参加するとき、モスクワやプラハで学者たちと歓談するとき、仕事から帰ってきた後、深夜から未明にかけて哲学書や神学書と向かい合うときには知識人としての魂が機能していた。そして、人生の岐路に立ったときには、その選択をキリスト教徒としての魂を基準に行っていた。これら複数の魂は私の中で、区別されているが分離されずに存在している。沖縄の伝統に従うならば、他にもまだ私自身が気づいていない魂が三つ残っているはずだ。残る三つの魂が睡(ねむ)ったまま私の人生が終わってしまうかもしれないし、あるいはその内、いくつかの魂が頭をもたげ、私の人生に大きな影響を与えるかもしれない。
いずれにせよ、私の中に魂が複数あるということが見えた瞬間に、私の内側から猛烈に「書きたい」という意欲が生まれてきたのである。

 

佐藤氏の活動の多面性の理由が分かるような気がします。

 

獅子風蓮