最初のころ、私は乙骨正生氏の著書「怪死……」を読んで、女性市議転落に創価学会がかかわっているという疑惑があることを知りました。
このブログでも連載しました。
しかし、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)でも書きましたが、宇留嶋氏のブログと著書を読み、考えを改めました。

(矢野穂積氏)
女性市議の同僚・矢野穂積氏というのは、気にいらないことがあるとすぐに相手を訴訟するようなエキセントリックなところのある方だったようで、女性市議を精神的に操っていたところもあるようです。
女性市議がストレスから万引きを行い、それを苦にして自殺した可能性もたしかにあると思うようになったのです。
正確に言うと、万引きのことで送検されることとなり、そのことを思い悩み、警察に出向きすべてを告白しようとしたころを矢野穂積氏に叱責されて異常な精神状態になってビルから自ら転落した……という可能性が捨てきれないということです。
乙骨正生氏の著書「怪死……」は、矢野穂積氏からの情報をもとに書かれた本ですので、再検討が必要かと思います。
そこで、この本を紹介したいと思います。
宇留嶋瑞郎(うるしま・よしろう)
『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』
ユニコン企画・発行
長崎出版株式会社・発売
(1998.03)

民主主義汚染
第一章 当選返上
■市選管の当惑
□自治省も「仕方ない」
□「草の根」批判が相次ぐ
□「許さない会」が結成される
□選挙会が二度流会に
□抜き打ち的な「繰り上げ当選決定」
第二章 矢野という「草の根」の来歴
第三章 万引き事件発生
第四章 錯誤と悲痛
第五章 転落死と空白の2時間
第六章 小さな正義
第七章 捜査終結から逆転判決へ
あとがき
第一章 当選返上
市選管の当惑
95年4月26日午後、西武新宿線東村山駅近くにある政治グループ「草の根」の事務所では奇妙な内容の記者会見が開かれていた。3日前の4月23日に行われた東村山市議選で、1926票を集め4位当選したはずの朝木直子(27=当時)が、実は当選を返上するというのである。地元の記者たちは驚いた。
当選が決まった23日夜、同市議選で2622票を獲得、2期連続トップ当選を果たした母親の朝木明代(50=当時)とともに記者会見に臨んだ直子が、「親子でやりにくいこともありますが、若い世代の代表としてがんばります」と笑顔で抱負を語り、『朝日新聞』4月24日付朝刊では「母娘当選、ガンバリます」の見出しで好意的に取り上げたばかりだったからだ。それからわずか2日後、直子はその抱負をあっさり撤回しただけでなく、すでにその自己意思を東村山市選管に伝えたというのである。
事実、4月26日午前、母親の明代とともに市選管を訪れて当選証書を受け取った直子は、その直後、口頭で当選の辞退を申し入れていた。記者たち以上に驚き、当惑したのは選挙事務を管理する市選管だった。
議員がなんらかの理由で辞職した例はいくらでもあるし、当選者の死亡などで次点者が、繰り上げ当選となった例も稀にある。しかし、当選を決めたばかりの立候補者自らが、正式に議員となる前に当選を辞退した、などという話は聞いたこともなかった。だいたい、公選法には立候補者が辞退できるのは公示日までと規定されており、それ以後の立候補辞退、および当選辞退を認めた規定はない。というのも、そんなことを認めれば、裏取引によって当選者を高位落選者が辞退させることも可能となり、議会制民主主義の根幹であるはずの選挙制度そのものが、そこでは骨抜きになってしまうからだ。
万一、議員にその職を全うできないようなやむを得ない事情が生じた場合でも、今度は地方自治法127条の規定により、いったん議員となった上で議会の議決を経なければ職を辞することはできない。つまり、立候補の届け出をした者は、公示日以後は自分勝手なふるまいは許されない存在、すなわち公人となってしまう。落選者を除けば、一度立候補した者は議員を辞職するというかたちでしか私人に戻ることはできないのである。したがって、このとき、市選管は朝木直子の申し出に合点がいかずに受理を拒否した。少なくとも、市選管の判断は当然だった。
しかし、「草の根」グループはなぜか、このとき市選管の対応を十分に予測していたようだ。市選管に当選辞退を拒否された直子は、すぐに次の手を打ったからである。直子はただちに市役所の住民課に行き、千葉県松戸市紙敷673―7への転出届を提出。その足で今度は松戸市役所へ向かって転入手続きをすませ、午後、東村山市役所で転出証明書を取得したのち、再び明代をともなって市選管を訪れ、新しく「当選辞退届」なる一通の書面を添えて、これを提出したのである。
まず、拒否されることを承知の上で市選管に口頭で当選辞退を申し入れ、断られれば市外転出をはかればよいーー。明らかに前日の段階で転出先を決め、住所を確認していなければ、これほど速やかに、そして鮮やかに転出入手続きを進めることはできない。それこそ、直子が「若い世代の代表としてがんばります」と抱負を語ったのが23日夜。そして市選管が当選人に対して、文書で、当選を通知したのは4月24日の午前2時半ごろ。ところが、その日の午後、東村山市民センターで行われたせっかくの当選証書の授与式には、肝心の直子は出席しなかった。おそらく、このころ、すでに「草の根」では直子の当選辞退が検討されていたのだろう。
なぜなら当時の報道によれば、直子の当選辞退がグループ内で了承されたのは、4月25日のことという。当選辞退届が当然直子本人によって書かれたものだとすれば、遅くとも25日中には作成されていたと考えるのが自然である。また、最初に当選辞退を拒否されてから再び市選管を訪れるまでの間に、直子にこのような文書を作成する時間があったとはとても考えられなかった。
それにしても、いったいなぜ? 何のための当選辞退? 記者たちがいぶかったのもそれだし、狐につままれた感じで、市選管がその場の受理を拒んだ理由もこれである。
〈私は、本日付けで別紙の通り右住所に転出し、東村山市議会議員の被選挙権を失ったので、右届け出ます。なお、本年4月24日付けで同年4月23日執行の市議会議員選挙の当選の告知をうけましたが、私は当選の承諾をしないので、念のため、右申し添えます〉
当選辞退届にはこうあった。もとより、公選法が公示や告示のあった日、または補充立候補の届出期間中以外の立候補の辞退も、当選の辞退も許していない以上、市選管が承諾するしないの問題ではなかった。
ところが、直子は住民票を他市に移すことで、なおも自分の被選挙権の喪失をはかり、その結果、自らの当選を無効にしようとしたのである(厳密にいえば、議員または立候補者が被選挙権を失ったかどうかを判断するのは少なくとも本人ではない)。さらにその上で、直子は「当選の承諾をしない」と追い打ちをかけた。単純な当選の辞退というよりも、これではむしろ敵意に近い強固な決意の表明だった。
今度こそ市選管は狼狽した。直子が本当に住所を移転したのなら被選挙権は失われる。しかし、これはどうやら実質的には、法で禁じられた当選辞退である。こんなことを認めていいものか。市選管が頭を抱えただろうことは想像に難くなかった。付き添ってきた朝木明代に住所移転の事実について確認を求めると、明代はそれに間違いないことを保証した。
はじめは狐につままれるような思いばかりだった職員には、一転して今度は事態がとても怪訝なものに思えてくる。そもそも、今進行しようとしているのは、いったい夢なのか現なのか。直子はいったい何を企図しているのか?
というのも、当選辞退届はともかく、法は法であるのも事実だった。つまり市選管にとって、直子が市外への転出証明書を提出したという外形は、やはり制度上重かった。市町村議会議員の被選挙権の規定では「引き続き3ヶ月以上当該市に住所を有する者」と定められており、さらに公選法99条では「当選人が選挙後に被選挙権を失うと当選を失う」と規定。公選法97条は「法99条の規定により当選を失ったときは、直ちに選挙会を開き、当選人とならなかった者の中から当選人を定めなければならない」となっている。
当の当選人である朝木直子が市外への転出届を出した事実に対して、市選管が議員の繰り上げ補充を検討する必要を認めたのも無理はなかった。
そして、これが「草の根」の狙いだったのだ。つまり、4月23日執行された東村山市議選の落選者で繰り上げ当選の最優先権を持つのは、なんと1249票の法定得票数を得て次点となった同グループ内の先輩かつ重鎮の矢野穂積(47=当時)だったのである。
【解説】
これが「草の根」の狙いだったのだ。つまり、4月23日執行された東村山市議選の落選者で繰り上げ当選の最優先権を持つのは、なんと1249票の法定得票数を得て次点となった同グループ内の先輩かつ重鎮の矢野穂積(47=当時)だったのである。
同じグループ内の次点だった候補を繰り上げ当選させるために、当選した朝木直子さんは、当選を辞退した。
冷静に考えれば、こんな自分勝手な主張はないですね。
獅子風蓮