
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
2018年12月27日 投稿
友岡雅弥
東日本大震災の後、避難所から仮設住宅へ移行が進んでいるとき、各地の仮設住宅におじゃましましたが、多くの場所で「お茶っこ」、つまり「お茶飲みの自然な集まり」とならんで、行われていることがありました。それは、手芸です。
ある精神科のドクターも言ってましたが、手芸で細かい作業をしているうちに、今まで話せなかったつらい思い出が話せるようになる場合が多いのです。
確かに、精神科の作業療法でも、手芸は療法の柱です。手先を使うことで脳を刺激するなんちゃら、とかいう説明がなされますが、何も考えずに、細かい作業に没頭しているうちに、心が平静になってくるようです。
そして、視線も、じっと相手を見るのではなく、隣の人もまた手芸をしている。その 「視線を合わせない関係」も、「蓋をしていたつらいこと」を、ふっとつぶやくことに適しているのかもしれません。
東北で、手芸というと、刺し子をすぐ思いだします。中心市街地が完全に壊滅した大槌で、「刺し子」によって仕事づくりと、「つらいことをはきだす場所」を提供している活動に、何度か参加というか、見学というか、支援というか、させていただきました。
もともとは、貧しい漁師の家で、ボロボロになった着物に、糸目をいくつもつけて、また他の裂地(きれじ=端切)を縫い付けて、補強をする。その糸筋が見事です。
また、丹精込めて、一針一針と糸を通した刺し子は、不幸を払うちからを宿すと信じられもしました。
たしかに、糸筋、刺繍が不幸を追い払うという考えは、東アジア、東南アジアから、アフリカから南北アメリカから、アイヌなど、あちこちに、見事な刺繍の民俗衣装があるように、洋の東西を問わず普遍的なものです。
「霊的な力」というか、一針一針の真心が温かさと幸せを運ぶような気もします。
もちろん、その真心が、日本の太平洋戦争中の国防婦人会の千人針みたいな例もあるわけですから、真心は、その行く末も考えねばなりません。
大阪市内の女性たちが、出征する兵隊さんたちの無事を祈って、行く人行く人に、一針づつ糸を刺してもらう、その布を身につけると無事に帰ってこれる。
それは、ある意味、無事を祈っての真心だった。それが、団体化して、「非国民」を排撃するようなオージーをもつ集団と化していったのです。
さて、針と糸というと、次のようなゴータマ・ブッダに因む話を思いだします。でも、残念ながら、原典を見つけたのですが、忘れてしまったのです。後代に引用されたものは、あれやこれやあるのですが。原典が……。
でも、なかなか、本質をついた話なので、流します。
仏弟子のAniruddha(サンスクリット、パーリ語ではAnuruddha、阿那律)は、目が不自由でした。彼がある時破れた衣を縫おうとしたのですが、なかなか針に糸が通りません。
「だれか、この目が不自由な私のために、代わりに針に糸を通して、功徳を積んでくれないか?」
功徳というのは、損得の「得」ではありません。「徳」です。サンスクリットでは、anusamsa、 punya、 guna、利他の行為、人徳という意味です。
その時、「私が徳を積ませてもらおう」という声がしました。
ゴータマ・ブッダです。
「私は、徳を積むことについては、人一倍、それを求めているのです」
とゴータマ・ブッダは言いました。
ゴータマ・ブッダは、「完成された人」ではなく、「常に自らの人としての向上を求める人」だったのです。
このエピソードは、そういう仏教らしさを伝えるとともに、もう一つの仏教らしさも伝えています。
「功徳を積む」というのは、功徳を積んで、金持ちになったとかいう話ではないのです。徳を積んで、それの結果どうなったという話ではないんです。
功徳を積むというのは、他者を支える行動を積み重ねて、人格がどんどん豊かになるということなのです。
「功徳」は、貯金やないんです。貯金が一杯になって、それで何か買おうとかいうのは、「蔵の財」を積むことですやんね。
【解説】
「功徳を積む」というのは、功徳を積んで、金持ちになったとかいう話ではないのです。徳を積んで、それの結果どうなったという話ではないんです。
功徳を積むというのは、他者を支える行動を積み重ねて、人格がどんどん豊かになるということなのです。
これは、新しい日蓮仏教に是非取り入れたい概念ですね。
ていうか、これまで創価学会員が間違って「功徳」を現世利益みたいに使ってただけなのですが……
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮