獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

友岡雅弥さんの「異者の旗」その70)「仏教唱歌」の誕生


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

 


freak70 - 排仏毀釈の弾圧の後で

 

2018年12月20日 投稿
友岡雅弥

 

まだ、明治に暦が改まっていない、慶応4年3月13日(太陽暦では4月5日)大政奉還を受けた新政府は「太政官布告」をだしました。
世に言う「神仏分離令」です。そして、政府の頂点、太政官と並ぶ位置に、神祇官を置きます。

ただし、神道はまだ新興の教えであって、江戸時代の国学以来ですから、国家イデオロギーとしては、未完成でした(例えば、神前結婚は、大正天皇の結婚式が、日本で初めてです。よくテレビで柏手は二回だとか、いろいろとやってますが、あれも新しく作られた儀礼です。神社に よって違うんですよ、本来は)。

この「神仏分離令」が呼び水となって、苛酷な「排仏毀釈」が始まりました。
寺々が襲われたり、仏像が打ち壊されたり、県で何百とあった寺が十数力寺となったり、今で言う国宝級の文化財が売りに出されて、海外に流出したりしました。

もちろん、国側に神道国教化の意図もありましたが、今まで教理や修行の体系も不完全で、神仏習合という日本の伝統のなかで、仏教の付属物に甘んじていた神官たちによる扇動もありました。
そして、民衆の暴徒化。これには、否定できない理由もありました。なぜならば、江戸時代仏教は、宗門改制度を通じて、幕府の民衆1人1人への支配に力を貸しており、それで、安泰を計っていたわけです。それへの反動もあったわけです。

だから、その「民衆蜂起」としての「排仏毀釈」を受けて、仏教側に島地黙雷などの、真剣に仏教のあり方を見つめ直す人々が現われ、この勢力が、神道国教化の大きな歯止めとなったわけです。

また、江戸幕府と協力した仏教といっても、それを生活に根ざした信仰として実践していた人たちがいました。この人たちは、排仏毀釈の流れのなかで、とてもつらい目にあったわけです。
江戸時代の隠れキリシタンほどではないですが、排仏毀釈が「民衆運動」となってしまってからは、そのエネルギーが、どちらのほうに向くかは分かりません。
集団リンチのようなかたち、後の時代でいうと「非国民!」というようなかたちで、自分に向くかもわからない、そんな不安のなかで暮らさね ばならなかった。

では、人々は、どのようなかたちで、自分の信仰を「保持」し、「確かめ」ていったのでしょうか?
もちろん、人それぞれなわけですが、そのうち、有力なものが「仏教唱歌」です。
江戸時代から、民衆のなかに広がった仏教の形態の一つが、「芸能」です。梵唄(お盆の前後に歌われる歌)、念仏踊り、和讃などの歌を伴う習俗でした。

教義の学習や布教などは、江戸幕府は僧侶の専権事項として、一般民衆がそれを行うことを禁止していました。いわゆる折伏をして、島流しになった人もいます。

そのなかで、人々は「歌」や「踊り」として、信仰実践、信仰表明をしてきたわけです。

この伝統が、排仏毀釈後もできました。

「国民」をつくるために、思想統一を図った政府側は、「唱歌」を作り出しました。
1872年(明治5年)のことです。
この流れに並行して、仏教側でも、排仏毀釈で、仏教の来し方を反省した宗派側、また、一般民衆の自然な流れとして、「仏教唱歌」が創られていったのです。

移民たちが、移住した国でどのような音楽(アフリカからの黒人たちは ニグロ・スピリチュアルからhip-hop に至るまでの分厚い音楽の伝統を作った。イタリア移民はドゥ・ワップやカントリーを、アイルランド移民はカントリーやフォーク・ソングを)をつくっていったのかを長年研究しているウエルズ恵さんは、ハワイの移民を調査しているちに、日本からの移民が、ハワイに大きな音楽の伝統を築いたことを発見します。

それが、「安心報謝花づくし」という仏教唱歌集に代表される「仏教唱歌」だったのです。

布教がだめなら、歌がある、文化がある、どこかで聴いたような話です。

 

 



解説
教義の学習や布教などは、江戸幕府は僧侶の専権事項として、一般民衆がそれを行うことを禁止していました。いわゆる折伏をして、島流しになった人もいます。
そのなかで、人々は「歌」や「踊り」として、信仰実践、信仰表明をしてきたわけです。
(中略)
仏教側でも、排仏毀釈で、仏教の来し方を反省した宗派側、また、一般民衆の自然な流れとして、「仏教唱歌」が創られていったのです。

 

「仏教唱歌」なるものがどのようなものか聴いてみたくてYouTubeなどで検索したのですが、見つかりませんでした。
友岡さんは今回のエッセイで何を言いたかったのでしょう。
ちょっと不明です。

どこかに創価学会の現状に対する皮肉がこめられているのかもしれません。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮