獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

佐藤優『十五の夏』を読む その22

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

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(つづきです)

篠原さんが、「佐藤優君が埼玉県立浦和高等学校に合格したことを心からお祝いします」と乾杯の音頭を取った。篠原さん、日下さん、事務員はストレートのウィスキーを一気に飲み干した。
前回は酒をまったく飲まなかった事務員もウィスキーを飲み干した。
「お酒を飲むんですか」と僕は尋ねた。
「普段は飲まないんですが、今日は佐藤君のお祝いなので飲みます」と言って笑った。
「いい酒だね」と篠原さんは目を細めて言った。
「私は、佐藤さんが高等学院でなく、浦和高校に行くことになってよかったと思っています。高校でロシア語を勉強し始めても、大学で始めても、違いはまったくありません」と日下さんが言った。
それに続けて、篠原さんが「確か前回、話したと思うけど、本格的にロシア語を勉強するならば、東京外国語大学のロシア語科に進んだ方がいい。あの学校は、戦前は陸軍と緊密な関係があった」と言った。
「陸軍ですか」と僕は尋ねた。
「そうだよ。陸軍はソ連を仮想敵国としていた。だから、ロシア語教育を重視した」
「日本は戦争中、敵性語だと言って、英語教育をしなかったという話を聞いたことがあります」
「佐藤君、それは大衆向けの話だ。アメリカを仮想敵国としていたのは海軍だ。海軍は英語教育にとても力を入れていた。陸軍幼年学校では、英語を選択することもできたが、ドイツ語、ロシア語、フランス語に力を入れていた。陸軍士官学校(陸士)では、ロシア語とドイツ語が重視された。陸士でロシア語に特に適性があると認められた人は、東京外国語専門学校(東京外国語大学の前身)で陸軍派遣学生として勉強を続けた」
陸軍幼年学校は、幹部候補を純粋培養するために作られた全寮制の教育機関だ。旧制中学1年の課程を修了した人に受験資格が与えられるが、2年修了後に受験する人も多かった。幼年学校で3年勉強すると陸軍士官学校予科に進学し、そこで2年勉強した後、半年、部隊勤務を経て陸軍士官学校に入学することになった。陸軍士官学校の修業年限は1年8ヵ月だったが、1941年に1年に短縮された。
「ただし、ロシア語を本格的に習得している将校は、例外なくハルビン学院出身者だった」と日下さんが言った。
「ハルビン学院? 初めて聞く名前です」
「満州国立大学で、この学校の学生は、ロシア人の家に下宿して、実地でロシア語を勉強しました」と日下さんが言った。
「そして、目一杯、ロシア人と遊んだ」と篠原さんが言った。
「ハルビンにはロシア人がたくさんいたのですか」と僕は尋ねた。
「たくさんいた。ロシア人の街という感じだった」と篠原さんが答えた。
「ロシア革命から逃げ出した白系ロシア人が多かったのですか」
「白系ロシア人だけでなく、ソ連系も多かった。また、白系ロシア人を装ったソ連のスパイも多かった。こっちもソ連にかなりの数のスパイを送り込んでいた。しかし、ロシア人はロシア人だ。白系もソ連系もない。ソ連軍が入ってきたら、白系ロシア人のほとんどがソ連側に寝返った。あれはいい勉強になった。日本人がロシア人を簡単に懐柔できるなどと考えない方がいい」

(つづく)

 


解説

戦前、戦中の陸軍、海軍の内情の話など、貴重な情報に興味津々の佐藤少年です。

 

 

獅子風蓮