獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

佐藤優『十五の夏』を読む その23

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

今回は、この本です。

佐藤優『十五の夏-1975(上・下)』

1975年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。
『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。
出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。
少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。

『十五の夏』という本は、書評にもあるように、佐藤優氏が15才の高1の夏休みに、たった一人でソ連・東欧を旅行したことの記録です。
それが、『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく「旅文学の新たな金字塔」といえるほど文学的に優れたものかどうかの判断は保留しますが、この旅が、いろいろな面で佐藤氏の人格形成に影響を与えたことは確かでしょう。

以下、かいつまんで紹介します。


『十五の夏』

□第1章 YSトラベル
□第2章 社会主義国
□第3章 マルギット島
□第4章 フィフィ
□第5章 寝台列車
■第6章 日ソ友の会
□第7章 モスクワ放送局
□第8章 中央アジア
□第9章 バイカル号
□第10章 その後

 


第6章 日ソ友の会

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(つづきです)

僕は少し考えてから、勇気を出して篠原さんに「篠原さんは、戦争犯罪人として監獄に入れられたんですか」と尋ねた。
篠原さんは、あっさりと「そうだよ。自由剥奪25年だった。日本的に言うと禁錮25年ということだ。もっとも死刑にならずに儲けものだったけどね」と言った。
「死刑になった人はいるんですか」
「外国人の戦争犯罪人に対して、ソ連当局は死刑を適用しなかった」
「何でですか」
「ソ連は人道的だということを宣伝するのと、教育で人間を改造することが可能であるという共産主義イデオロギーの要素が混在していたからだと思う」
「食事はひどかったんじゃないですか」
「僕の場合は、それほどひどくなかった。看守のロシア兵と同じ物を食べていた。これはどの監獄に収容されていたかによってだいぶ異なる」
「僕の場合はひどかった。しかし、人間の記憶は不思議なもので、悪いことは忘れるようになっている」と日下さんが言った。
僕は参議院議事録で読んだ、〈我々はその当時を称しまして地獄谷時代と呼んでおりました。外に出て作業に参ります作業所は、自動車に乗って約40分くらい行ったところの道路工事であります。その道路工事において昼にこちらから穀物45グラム貰って、乾燥馬鈴薯58グラム、油が4グラムというぐらいの糧秣を貰って現地で炊さんいたしました。その際にそれだけの物を食べていたんではとても身体が保ちませんし、足がふらついて持っている円匙も十分に振えない。若しもそこで十分に振えない場合には、パーセンテージに従ってそれだけの食事が尚且つ半分に減らされるというようなわけで、どうしても食わなければならんというので、丁度5月中馬鈴薯の種蒔が終った時ですから、道の下に落ちている馬鈴薯を拾ってスープに入れるというような状態を繰返しておりました。又附近にある「あかざ」或いは「たんぽぽ」というようなものを取って食べておりました。〉という証言を思い出したが、それについて言及すると、篠原さんと日下さんの関係が気まずくなると思って黙っていた。
「容疑は何だったんですか」と僕は篠原さんに尋ねた。
「スパイ罪、資本主義幇助罪、住民虐待などいろいろあったよ」
「しかし、冤罪なんでしょう」
「必ずしもそうとは言えない」
「しかし、篠原さんが住民虐待をしたなどとは思えない」
「いや、スパイ容疑がかかった中国人については、始末した方がいいと指示したことが何度もある。住民の中にゲリラが潜んでいるからそういう対応をするしかない。日本人は憎まれていた。侵略戦争なんかするもんじゃない」
日下さんと事務員は黙って篠原さんの話を聞いている。

(つづく)

 


解説

「容疑は何だったんですか」と僕は篠原さんに尋ねた。
「スパイ罪、資本主義幇助罪、住民虐待などいろいろあったよ」
「しかし、冤罪なんでしょう」
「必ずしもそうとは言えない」
「しかし、篠原さんが住民虐待をしたなどとは思えない」
「いや、スパイ容疑がかかった中国人については、始末した方がいいと指示したことが何度もある。住民の中にゲリラが潜んでいるからそういう対応をするしかない。日本人は憎まれていた。侵略戦争なんかするもんじゃない」

 

旧日本陸軍の大尉だった篠原さんの言葉は、重いです。

 

 

 

獅子風蓮