最初のころ、私は乙骨正生氏の著書「怪死……」を読んで、女性市議転落に創価学会がかかわっているという疑惑があることを知りました。
このブログでも連載しました。
しかし、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)でも書きましたが、宇留嶋氏のブログと著書を読み、考えを改めました。

そこで、この本を紹介したいと思います。
宇留嶋瑞郎(うるしま・よしろう)
『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』
ユニコン企画・発行
長崎出版株式会社・発売
(1998.03)
目次
第一章 当選返上
第二章 矢野という「草の根」の来歴
□60件を超す珍しい 「訴訟運動家」
□公民館活動で知り合った仲
□「東村山市民新聞」で行政批判
□明代の「傍聴席との二人三脚」
□東村山市立四中をめぐる二つの事件
■提訴を宣伝材料に
□信じられない決議案
□創価学会攻撃に転じた「草の根」
□ついに自ら市議選に
第三章 万引き事件発生
第四章 錯誤と悲痛
第五章 転落死と空白の2時間
第六章 小さな正義
第七章 捜査終結から逆転判決へ
あとがき
第二章 矢野という「草の根」の来歴
提訴を宣伝材料に
そしてこの裁判は、94年4月東京地裁八王子支部において棄却判決。矢野と明代(最後は明代の死亡のため、夫の大統、息子の巌、長女の直子、二女の古谷淳子が訴訟承継人となった)は最終的に最高裁まで争うが、裁判が始まってから9年後の97年11月13日棄却となり、矢野らの全面敗訴が確定している。理由は、明代が市議会で質問を行うにあたって、矢野を含む「草の根」支持者からの事情聴取などしか行っておらず、他の保護者に対する事情聴取はなく、四中に対しても副教材費の一般的な取り扱い方や副教材費精算の有無、事実経過などについてはまったく照会していなかった事実などが明らかになったことである。結果的に、裁判所は明代の質問が青木のいうとおり「早とちりの一般質問」であると認定した。また、明代は一般質問の中で、四中の教師がリベートを受け取っていると決めつけたことはないと主張したが、裁判官にはまっ たく相手にされなかった。
こうして不正の事実がなかったことがはっきりしても、矢野と明代は自らの調査不足を反省するどころか、明代の質問ののちに四中側が差額を返還した事実から「東村山市民新聞」では、四中側にあたかも不正の意図があったかのように書き、また差額が返還されたことがあたかも自分の功績であるかのように話を逆転させている。明代から市議会でリベートを受け取っていると決めつけられた教師には一言の謝罪の言葉もなかった。
長くなるので端折りたいが、明代が市議となって以後、彼らが起こしてきた訴訟や事件は、行政や議会に対するものではこのほかにも、議会での明代の発言が不適当だったとして議事録から削除されたことで議長を訴えた議事録改竄事件、青少年団体に対する補助金が違法だとして訴えたドナルド事件、法定資格のない職員を図書館長に任命したのは違法であるとして提訴した事件、歴史講座の講師となった嘱託職員が謝礼を受けるのは違法だとして訴えた事件、(これは彼女自身のケースだが)決められた時間に遅れても一般質問の通告書を受理しないのは違法だとして訴えた事件、助役の次男を市役所職員に採用したのは情実採用だとして追及した事件(助役はこの一件がもとで辞職した)、社会教育委員の選挙で矢野を推薦したグループが委任状を持参し、一人が何度も投票して矢野を強引に当選させた事件(ほかにも似たようなことをやったグループもあったらしいが)などがある。
社会教育委員の選挙は、それまで一人一票が原則とされていたが、事情で投票に参加できない人もいるため、委任状も含めて一人二票までと確認されていたのである。ところが、矢野を推薦したグループでは市議の明代までが三度目の投票のために列に並びはじめ、会場が騒然となったといわれる。またドナルド事件では、全面勝訴を勝ち取った被告側の女性弁護士が「矢野らの行為は裁判権の濫用であり、民主主義を破壊するもの」と強い口調で批判したものだった。
「草の根」が次々と監査請求や行政訴訟を起こしてきた理由について、矢野はあるところで、「草の根」が議会内で孤立に追い込まれていたため、自分たちの主張を市政に反映させるためには法的手段に訴えるよりなかった旨発言している。しかし、彼らの訴えのほとんどが根拠なしとして退けられているのはなぜなのか。そして、「東村山市民新聞」を見るとこれらの事件はすべて「草の根」に理があるように書かれ、あたかも自らの宣伝材料となっているのはなぜなのか。
民事では訴状は一応何でも受理されるし、原告が証拠として申請したものは普通は提出が認められる。しかし、受理されたことをもって訴えの正当性が保証されたとはけっしていえないし、また証拠の提出が認められたということと、その真実性もまったく別問題である。ところが矢野は、それが第三者からみてどれほど意味のないと思われる訴えであっても、受理されただけでそれを声高に喧伝しているし、裁判では証拠としての提出が認められただけであたかもその内容が真実であると認定されたかのように書いている。あるいは、敗訴した裁判が「東村山市民新聞」では、いつの間にかあたかも勝訴扱いになっていることもあった。
矢野は結局、情報操作によって「草の根」の名を売ることを唯一の「東村山市民新聞」の役割にしてしまったのではないか。たとえば、一方では朝木明代が議員報酬のお手盛り値上げに反対、値上げ分を返上しているなどと紙上に宣伝して「草の根」の清廉潔白を強調し、一方で東村山市議会を「ムラ議会」と称して次々に提訴や監査請求を突きつけた事実を書き連ねているが、報酬の一部を返上するなどといっても、「草の根」側から、その金がどのように行政に生かされたのかなど説明されることもなかった。だいいち、地方自治体が「議員報酬の一部返上」を受領したのか否か。その場合に朝木は「供託」にでもしたのか。しかし、そんな行政の仕組みを知る市民がそれほどいるはずもなく、こうした記事を毎月読まされる普通の市民はただ、「草の根」は硬直した古い体質に支配された「ムラ議会」と果敢に闘っている、庶民の味方だという錯覚を抱いたものだろう。まさに「情報操作」の怖さではないか――。
しかしこうして、91年、二度目の市議選に出馬した朝木明代は、車椅子に乗って弱者の味方のイメージを強調する選挙運動を行うなどし、前回の最下位から今度は一躍トップ当選を果たすのである。当時、障害者団体などからは障害者を利用した恥知らずな行為だと強い批判の声が上がっている。もちろん、「東村山市民新聞」にだけはその記述はないし、トップ当選したことで現実として明代の存在感はますます高まることになった。それにつれて、傍聴席や控室、市役所内における矢野の態度もますます増長、このころ、市役所内では、議会や市役所の情報がどうして矢野に筒抜けになるのか、いぶかしく思う職員がたくさんいたぐらいである。当時、市役所内の行政や議会に対する不満分子が矢野に情報を提供していたのだとする根強い説がある。しかしその一方で、おおむねは、矢野にたたかれたくない、矢野を敵に回したくないという心理が働いて、表立って「東村山市民新聞」を話題にするのを皆なんとなく避けているうちに、市役所内にはいったい誰が矢野に通報しているのかという疑心暗鬼が生じ、実にいやな雰囲気になった時期があったともいわれる。
9年に及んだ前述の四中の教材費に関する明代の議会発言をめぐる裁判で、勝訴を勝ち取った佐藤敏昭は、矢野についてこう語っている。
「矢野の『草の根民主主義』は、ごく初期の間だけだった。かたちとして、東村山の保守の専制に切り込んでいったようにも見える短い期間だけは評価できるが、その後は転落の一途をたどった。それどころか、彼は膨大な資金を投入して「東村山市民新聞」を市中に全戸配付しながら、敵対する者を攻撃することで、一種の柔らかい恫喝態勢を東村山市内に形成していった。その過程では、市議たちを『ボケ議員』『ピーマン議員』『失語症議員』『心身症議員』と蔑視し、あるいは『信者』議員、『学会』議員などとレッテルを貼った。このような手法は、1933年、“赤い裁判官”尾崎氏の逮捕、長野県の“赤い教員”事件を想起させる。戦前の日本のファッショ体制、ドイツのナチズムにも似ている。人間の内奥に勝手なレッテルで手を突っ込むのは、最も卑劣な行為だ。『草の根民主主義』どころか、矢野はその根本的な破壊者にほかならんよ」
【解説】
当時、市役所内の行政や議会に対する不満分子が矢野に情報を提供していたのだとする根強い説がある。しかしその一方で、おおむねは、矢野にたたかれたくない、矢野を敵に回したくないという心理が働いて、表立って「東村山市民新聞」を話題にするのを皆なんとなく避けているうちに、市役所内にはいったい誰が矢野に通報しているのかという疑心暗鬼が生じ、実にいやな雰囲気になった時期があったともいわれる。
矢野は、「東村山市民新聞」を武器に、批判者を恫喝するシステムを構築していったのですね。
獅子風蓮