
断捨離の一環として古い資料を整理していたら、朝日新聞の古い切り抜きを見つけました。
「竹入元公明党委員長回顧録」です。
この新聞記事がきっかけになって竹入氏は池田大作の怒りを買い、創価学会・公明党から激しいバッシングを受けます。
それはひどいもので、人格攻撃から家族への攻撃にまで発展しました。
しかし、原資料である、この新聞記事を読むことはネットを駆使しても難しいです。
竹入氏は、回顧録を出版することはせず、鬼籍に入られました。
今回、貴重な資料を共有したいと考え、記事を文字起こししました。
お付き合いください。
秘話
55年体制のはざまで⑩
1998年(平成10年)9月12日
竹入義勝

【信頼の鎖】「周・竹入」次代にも

周恩来首相が1976年に亡くなられたときはショックだった。翌77年1月に四度目の訪中をし、周首相夫人の鄧穎超さん(元政治協商会議主席)に人民大会堂で会った。お悔やみを言おうとしたが、つらくて言葉にならない。月並みなお悔やみは言いたくないし、何とも慰めようもなく、泣けて仕方なかった。鄧さんの顔にも涙が伝わっていた。最後の最後まで、何も言えなかった。30分もの無言の会談になった。
鄧さんには長く親しくしていただいた。私の母親と同い年で、「鄧ねえさん」と呼ばせてもらった。鄧さんは、周首相との関係を結婚前から語り、中国の解放闘争がどう進められたかを話してくれた。廖承志中日友好協会会長が亡くなったのは、83年の参院選のときで、投票日が一週間後に迫っていたが訪中した。本葬とは別に私のために病院で葬儀をしていただいた。霊安室前に祭壇を設け、中日友好協会の幹部が整列、廖さんの遺体は人民服姿で正装されていた。長い間のお世話に感謝しお別れを言った。
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78年秋、孫平化さん(元中日友好協会会長)に案内されて、桂林で川下りをし、陽朔で船をおりた。町を歩いていたら、老女が二、三本のわらの先に十センチくらいの白いものを結びつけている。何かと聞いたら、「鶏肉の切れ端で、市民は卵もなかなか食べられない」と説明された。欧州の援助で養鶏をやっているが、無菌状態に保つ必要があり、管理が大変でうまくいかないという。そこで、鶏小屋建設の応援を提案した。
帰国後、二宮文造副委員長が三井物産に相談したら、無菌状態より自然の状態で飼育した方がよいという話だった。大平正芳首相には経済協力での処理を頼みこんだ。だが、鶏小屋の援助は金額が小さくても一件に数えられるため、中国側が希望していないことが分かった。最終的には田中六助さん(元自民党幹事長)の協力もあって、三井鉱山が12万羽の養鶏場を寄付した。金額で3億5千万円くらいだったと思う。
養鶏場は北京郊外の中日友好人民公社につくられ、成績も良かった。記念の看板を書くよう頼まれたが、お断りし、代わりに廖承志さんが「中日友好 松柏長青」と書いた。私には松柏の絵などが書かれた卵の殻二つが記念品として贈られてきた。養鶏場の生産第一号の卵だという。

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振り返ってみると、鄧小平、胡耀邦、趙紫陽の三首脳とも目指したものは同じだったと思う。胡さん、趙さんは、理想に向かって走るタイプだった。胡さんには一回だけフランス料理をごちそうになったことがある。「近代化は絶対やらなければいけない」と熱弁を振るいながらフォークを振り回すものだから危なくて仕方がない。「胡さんとのフランス料理はもうこれまでですね」と言って大笑いになった。
胡さんが進めた改革・開放路線はちょっと性急すぎたのではないか。しかし、人間としてはすごく明るくていい人だった。人を引き付けるところがあって、この人も、小さな巨人だった。趙さんも明るかった。天安門事件でも鄧さんとの対応の差がよく出ていた。
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中国は五千年の歴史の中で、政治力、外交力、判断力、情勢分析力などあらゆるものを鍛え、とてつもない力を蓄えている。短期的に考えるのではなく百年単位の考えを基本にし、現状対応もすばらしい。もし、日中関係がぎくしゃくし疎遠になったりすると、日本にとって何のプラスもない。
だが、米中間は多少はぎくしゃくしても、崩れるようなことはない。米中は歴史上、国と国が直接戦火を交えたことはなく、その事実は重い。それはお互いの米国観、中国観にも大きく影響している。
若者・政治家に対話期待
日中関係は、正しい認識のもとに対話を絶やさないことが必要だ。中国敵視発言などで迷惑するのは国民で、全く意味はない。21世紀を展望すると、若い指導者の育成が課題になるが、交流の面でも日本はたち遅れている。留学生が日本で博士、修士号をとろうとしても厳しすぎてなかなかとれない。文部省や日本の大学は、留学生の対応を考え直すべき だ。学生が反日になって帰って行くのでは、何にもならない。
最も目覚めてほしいのは政治だ。日中では票にも金にもならない。だから政治家の認識は、中国もアジアも比重が低い。これは将来、大問題になるだろう。
日米も大事、日中はもっと大事だ。中国は必ず超大国になる。中華思想は厳然としてある。中国は意外にドライで古いものにはしがみついてはいない。12億もの人がいてベースが違う。日本はいつまでも中国より先進国だと思い違いをしないようにした方がよい。若い人に周・竹入の信頼関係が生まれてくることを望みたい。人と人のつながりは強い。
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問われ続ける歴史認識
日本と中国は1972年9月に国交正常化したが、両国関係は順調とばかりはいえず、時には深刻な摩擦も起きている。とくに日中戦争という重い過去を背負っている日本側の歴史認 識が問われてきた。82年には教科書問題が起き、85年には中曽根康弘首相が靖国神社に公 式参拝し、強い反発を呼んだ。
94年5月、羽田孜内閣の時に永野茂門法相が南京大虐殺でっち上げ発言で、同年8月、村山富市内閣の時に桜井新環境庁長官が侵略戦争否定発言で、それぞれ閣僚を辞任している。95年には村山首相が「植民地支配と侵略」は「疑いもなく歴史的事実」として深く反省する首相談話を発表した。
一方、95年には中国が二度にわたって核実験をし、日本側が反発し無償資金協力を凍結する事態もあった。96年には、橋本龍太郎首相が靖国神社を参拝、さらに右翼団体が尖閣諸島に建造物をつくり、極めて関係が悪化した。国交正常化25周年の97年に橋本首相が訪中し「対話と協力」を確認し、両国関係の調整が図られた。しかし、日米防衛協力の指針(ガイドライン)での台湾の扱いなど摩擦要因は残されている。
(聞き手・構成:小林暉昌編集委員)
【解説】
中国は必ず超大国になる。中華思想は厳然としてある。中国は意外にドライで古いものにはしがみついてはいない。12億もの人がいてベースが違う。日本はいつまでも中国より先進国だと思い違いをしないようにした方がよい。若い人に周・竹入の信頼関係が生まれてくることを望みたい。人と人のつながりは強い。
竹入氏の予言通り、いつのまにか日本は、政治・経済面で中国に追い抜かれてしまいました。
せっかくの竹入氏の遺産を、公明党は引き継ぐべきだったのではないでしょうか。
獅子風蓮