
断捨離の一環として古い資料を整理していたら、朝日新聞の古い切り抜きを見つけました。
「竹入元公明党委員長回顧録」です。
この新聞記事がきっかけになって竹入氏は池田大作の怒りを買い、創価学会・公明党から激しいバッシングを受けます。
それはひどいもので、人格攻撃から家族への攻撃にまで発展しました。
しかし、原資料である、この新聞記事を読むことはネットを駆使しても難しいです。
竹入氏は、回顧録を出版することはせず、鬼籍に入られました。
今回、貴重な資料を共有したいと考え、記事を文字起こししました。
お付き合いください。
秘話
55年体制のはざまで⑫
1998年(平成10年)9月18日
竹入義勝

【立党の原点】腐敗と戦う気持って

政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。学会の副理事長や総務をやってきたが、取りえは元気がよくて活動的だったことぐらいだ。だから、無我夢中で党活動に専念した。福祉、公害、基地問題は公明党ならではの取り組みだった。やはり、足で稼いだクリーンヒットが多かった。これは都議会時代に身についたものだった。
党活動も最初は怖いものなしだった。米軍の核問題でも正面からぶつかっていったのがよかった。核兵器があるのではないかといって調べていったら、いろいろな結果が出て、ゴルフ場を返せ、基地を返せにつながった。沖縄の米軍基地総点検では米軍公表よりも基地の数が多いことを明らかにし、核貯蔵疑惑を指摘して大反響を呼んだ。
公明党が政界に出てきて、米国はどんな党なのかよく判断できなかったのではないか。すごく寛大で、米国らしいなと思った。
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若気の至りというか、冷や汗をかく、きわどい問題もあった。衆院に進出して間もなくの 総選挙で、大量の入場券をかき集めた「替え玉投票事件」が発覚して、大騒ぎになった。 東京、神奈川などで、逮捕者は30人ぐらい。海外に出た人もいた。都議選では選管職員と投票所で乱闘事件を起こしたこともあった。投票の締め切り時間が早すぎると言って殴り合いを始めたのだが、前代未聞の大事件だった。
替え玉投票事件では、警視庁の幹部にも陳情に行き、さんざんしぼられた。東京地検にも行った。「二度としないので勘弁してください」と謝ったが、地検幹部から「ここへ来るとみんなそういうんだよ」とやられた。そこで「こういう事件を二度と起こさないことを誓います」と言ったら「いっぺんだけ信用しよう」といわれた。
この事件は検察が大喜びで、「検察始まって以来の事件」と意気込んだものだったが、幸い大がかりな事件にならずに済んだ。
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1976年10月に公表した「生きがいとバイタリティーのある福祉トータルプラン」は大成功だった。本格的な福祉政策を出せと政審に強く注文。正木良明政審会長が「二千万円かかる」といってきたが、「結構だ」と踏み切った。正木さんは昨年亡くなられたが、政策面で大いに助けてもらい、心から感謝している。
この計画は、福祉政策で何とか独自性を出せないかと考えていてひらめいたものだった。選挙ではずいぶん役に立った。「これが目に入らぬか」の水戸黄門の印籠のように福祉トータルプランの本を掲げたものだ。当時の野党としては画期的だった。実現可能性を重視した政策で、何でも反対の野党を脱皮させる刺激的なものだった。
私の在任中も党の体質は崩れていった。既成の権力に組み込まれる中で「腐敗政治と断固戦う」という立党の原点が徐々に薄れていたのだ。67年に自民党の国会対策費を国会で追及し、自民党が発言の取り消しを要求してきたので、逆に福田赳夫幹事長に「けしからん」と鳴り込んだが、そのころの腐敗追及の威勢は全くなくなってしまった。
権力は絶対的に腐敗するというけれど、その通りだ。どんなに政策がよくても、腐敗があってはいけない。信頼がなくなれば何をやっても力にならない。
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戦後半世紀の政治を見ていると、政党のための政党政治が大手を振って歩いてきたのではないか。政党の離合集散があり、多くの政治家が政党を渡り歩くなど混乱が続いているが、戦後半世紀の保守政治を清算する意味で、今は、苦しいけど通らなければならない道だと思う。悲観すべきことではない。参院選で自民党が惨敗したが、国民の関心、見方が変わってきたことは喜ばしい。
特定団体への奉仕は限界
21世紀を展望して日本の政治をどうすべきか性根を据えて考えるべき時だ。国民の一人 として言わせてもらえば、自民党で政治の改革ができるのだろうか。その点から言えば、今は自民党に手を貸すべき時ではない。与党でもなく野党でもない「第三極」を掲げることは、野党の結束を求める動きの中で腰が引けている印象だ。事情は分からないではないが、日本の政治を根本的に変えるという視点があれば、選択の幅はそう広くないと思う。
政治が何かの利益団体のために、利益を擁護したり代弁したりする時代は終わりつつある。一つの団体や勢力が政党を支配したり、政党が奉仕したりする関係は、国民が目覚めてきて、あらゆる面で清算される時代になっている。
=署名は自筆
(おわり)
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「言論問題」で宿命的な陰り
回顧録を担当して
政治の動きを見ていると、表と裏がこんなに違うものかとよく驚かされる。竹入義勝元公明党委員長の回顧録「秘話・55年体制のはざまで」の一連の証言も、政治のダイナミズムや複雑さを感じさせるものだった。
竹入氏の代表的な実績とされる日中国交正常化の橋渡しでは、当時の田中角栄首相が党内情勢を見ながら逡巡している様子や、中国側は竹入氏が特使でもないのに共同声明原案の伝達を要請したことなど、通説とは異なる歴史のひだを見る思いがした。
驚かされたのは、自民党とのかかわりが極めて深かったことだ。二階堂進氏の自民党総裁選擁立劇では、一連の動きが終わった後、竹入氏の立ち会いの下、田中元首相と二階堂氏の手打ち式までやり、「次は二階堂」で一致したという話などはその一例だ。
また、創価学会の公明党支配が徹底していたことも「これほどとは」という感じを受けた人が多いのではないか。20年にわたって委員長を務めた当事者が党と学会の関係を発言した意味は大きい。
この問題での竹入氏の言は慎重だった。それでも「公明党と創価学会の関係は、環状線ではなく、一方的に発射される放射線の関係」という表現に思いが込められている。池田大作氏(現名誉会長)との確執は想像以上のものだったことがうかがえた。
言論出版妨害問題を機に「政教分離」が宣言されたが、極めて不徹底、そのときの池田会長の「公明党はすでに立派な大人。明確に分離していく原則をさらに貫いていきたい」という発言通りやるべきだった――が言いたいことの核心なのだろう。
インタビューの中で特に印象的だったのは、竹入氏が田中元首相らとの親密さを語るとき、誇らしさとともに苦々しさがないまぜになっていたことだ。
竹入氏は「言論問題」で元首相に仲介を依頼。大きな借りをつくった。二人の関係は、表では政治腐敗や公害、福祉政策で自民党を追及しながら、裏では「創価学会を守る」ため自民党の補完勢力の役割も果たさなければならなかった同党の宿命的な「二重構造」の出発点となったのだからだろう。
「言論問題」が明るみに出た時、竹入氏は「事実無根」の記者会見をした。このことについて竹入氏は「放っておいたほうが良いと進言したが、学会側が工作に動き出し、やむを得ず田中氏に頼んだ。あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」と周辺に語っている。痛恨事だったに違いない。
竹入氏が問いかけているのは、公党として国民政党を目指す以上、創価学会の党であってはならない、ということだろう。第三極論やキャスチングボート論も、権力との対決を回避する自己防衛的なものであってはならないと訴えている。
新進党の解体後にできた「新党平和」と「公明」両党は、近く合体して旧公明党グループで再びまとまろうとしている。それに先立ち「政党とは何か」の原点からの議論が必要だが、その論議が活発に行われているという話は、残念ながら聞こえてこない。
(聞き手・構成:小林暉昌編集委員)
【解説】
若気の至りというか、冷や汗をかく、きわどい問題もあった。衆院に進出して間もなくの 総選挙で、大量の入場券をかき集めた「替え玉投票事件」が発覚して、大騒ぎになった。 東京、神奈川などで、逮捕者は30人ぐらい。海外に出た人もいた。都議選では選管職員と投票所で乱闘事件を起こしたこともあった。投票の締め切り時間が早すぎると言って殴り合いを始めたのだが、前代未聞の大事件だった。
これまで知られていた事実ですが、元公明党委員長の口から語られる意味は大きいです。
ちなみに、選管職員と投票所で乱闘事件を起こしたのは、公明党のエキセントリック男として有名な市川雄一元書記長です。
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矢野絢也『闇の流れ 矢野絢也メモ』(講談社α文庫)によれば、昭和59年9月21日、公明会館で拡大中央執行部委員会が開かれ、角栄発言への批判、党の対応への不満が出たという。
その際に、ある人物(市川雄一と思われる)が次のように話したという。
「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部のいいなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」。
私が「もの」とは何かと聞くと、「『もの』とは意思を持たないという意味だ。心のない『もの』です」。
竹入委員長と私は「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」と厳しく叱り、その後、二人で2時間ほど懇談。
矢野 「エライご時勢ですな、あんなこと言うとは。党も頽廃してきた証拠でしょうかな」
竹入 「あいつはエキセンだ。気を付けろ。昔の事件を根に持っている。必ず、学会の寝首を掻く奴だ」
矢野 「よく、注意する。だが、仕事はできる」
竹入 「だが、この風潮は恐ろしい あいつだけではない。学会も言い過ぎる。それに皆、面従腹背だ」
………(中略)………
竹入 「今は、あまり、秋谷会長に近いとお前に損だよ。そう見られている。とにかく早く顔の麻痺を治してくれ。学会の感じだが、学会と党と同時に人事をやってよいかどうかが問題だな。以前に光亭で矢野―大久保にバトンタッチせよとなっているし」
矢野 「幸か不幸か、私は病気だ」
竹入 「怪しからん奴だ、お前は」
矢野 「県長会に秋谷会長出席予定が急に指示があり、出るには及ばずで欠席だとよ。表向きは、体をいたわれという意味だって」
二人 「さっきは二人で、彼に厳しく注意したが、秋谷会長も『もの』か」
竹入 「学会で人事がありそうで、学会人事と党人事は関係ないと思うが、上がおれに暫く続けろと言っている。それでいいか」
矢野絢也氏の著書は、平成5年10月号の「文芸春秋」に「政界仕掛人極秘メモ全公開」が載ったのをまとめたものです。
竹入氏の回顧録よりも、5年も前のことです。この著書を竹入氏の回顧録と合わせて読むと、いろいろな背景が分かって面白いです。
このメモが発表された時には、創価学会から矢野氏へのバッシングは起こりませんでした。
しかし、竹入氏の場合はあの酷いバッシングです。
当時の池田氏と竹入氏の関係が相当に悪かったということでしょうか。
獅子風蓮