最初のころ、私は乙骨正生氏の著書「怪死……」を読んで、女性市議転落に創価学会がかかわっているという疑惑があることを知りました。
このブログでも連載しました。
しかし、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)でも書きましたが、宇留嶋氏のブログと著書を読み、考えを改めました。
そこで、この本を紹介したいと思います。

宇留嶋瑞郎(うるしま・よしろう)
『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』
ユニコン企画・発行
長崎出版株式会社・発売
(1998.03)
目次
第一章 当選返上
第二章 矢野という「草の根」の来歴
第三章 万引き事件発生
第四章 錯誤と悲痛
第五章 転落死と空白の2時間
■朝木明代が行方不明?
□他殺の材料は発見されず
□警察は事件性薄いと判断
□矢野の涙声の意味
□一気に過熱した一部マスコミ
□自殺説を否定するために
□直子はついに現れず
第六章 小さな正義
第七章 捜査終結から逆転判決へ
あとがき
第五章 転落死と空白の2時間
朝木明代が行方不明?
95年9月2日、午前0時30分ごろのことだった。
矢野穂積から東村山署に妙な電話がかかってきた。
「昨日の夜9時過ぎに電話があったあと、朝木明代が行方不明状態になっている。何か通報入っていないか」
あの朝木が行方不明? 何かあったのか。
当直警官は一瞬「昨日の夜」という矢野のいい方に戸惑った。確かに日付は変わっているが、12時半なら普通は今夜というだろう。急ぎ事件、事故の記録を調べると、約2時間前の9月1日夜、10時45分ごろ、東村山駅前交番に「同駅前のロックケープビル裏で、ビルから転落して重傷を負ったとみられる女性が倒れ苦しんでいる」との通報があり、救急車を要請していることがわかった。

(もしかすると、これが朝木かもしれない――)
その時点で、署内には明代の顔を知る刑事はいなかった。そこで仕方なく、明代を遠くからではあるが一度見たことのある刑事が逮捕事案を中断して現場に向かった。しかし、交番に通報があってから、もう2時間がたっている。現場に救急車の姿はなかった。聞くと、11時16分、救急車は所沢の防衛医大病院に向かったという。
東村山駅前から防衛医大病院までは車で約10分である。刑事は所沢へ向けて車を走らせた。
午前1時過ぎ、病院に到着した刑事は、運び込まれた女性の死亡が午前1時ちょうどに確認されたことを知る。霊安室に駆け込むと、遺体はなんとなく朝木明代に似ている。矢野からの妙な電話と中年女性がビルから転落したらしいという話から、刑事は「朝木市議ではないか……」
とつぶやいた。しかし、女性は身元を証明するものは何も身につけておらず、まだ対外的には遺体が朝木明代だとは断定できなかった。だから、刑事は遺族が確認するまでこのことは口外しないよう医者に念を押した。警官であれ赤の他人が、ケガ人の身元を確認するのは容易ではない。写真でなら見たことがあるとか、前に一、二度見かけたことがあるという程度では、一人の人間の顔は確認できない。重傷のケガ人や死体となれば、どうしても普通の顔をしているわけではないからである。また、間違った情報が流れれば混乱の元になるからだ。刑事は副署長の千葉英司に、この旨一報を入れた。その後、千葉は現場検証のための鑑識、警察犬の要請、警察医の手配、検察官への連絡を行った。
午前2時40分ごろ、再び矢野から東村山署に電話がかかった。今度は110番通報だった。「朝木の自宅の前に不審な車が停まっている。朝木明代が、行方不明になったことと関係があるのではないか」
のちに記録の上で見れば、2時間前の行方不明という話に、「不審な車」というあいまいな具体性が加わっている。焦燥と疑いの目の下で、はっきりしないものは何でも不審に映るという矢野の心理状態が理解できる。東村山署は、この時点ではまだ、遺体が朝木明代だとは断定できていなかった。しかし、矢野から110番通報があったことを知った刑事は、やはり遺体は朝木明代ではないかと考えた。そこで、矢野の110番通報から約10分後、東村山署は矢野に折り返し連絡、東村山駅前から救急車で防衛医大病院に運ばれ、すでに死亡した女性が明代である可能性が高い旨伝えたのである。
矢野が防衛医大に到着したのは、午前3時ごろだった。しかし、不審死の場合、遺体の検案が終わるまでは、たとえ遺族であろうと、遺体と対面することはできない。遺体になんらかの手が加えられる可能性もないとはいえないからである。これは、遺体が明代である可能性が高いからという理由からではなく、ごく一般的な措置なのだ。 矢野や遺族らは、遺体になぜすぐ会わせないのかと騒いだという。しかし、検案が終わるまでは、会わせるわけにはいかなかった。
そして、朝木明代とおぼしき遺体の検案作業が始まった。千葉が警察医とともに遺体の損傷箇所を逐一指さしながら、入念に確認していった。明代の遺体は両足骨折、右足大腿部裏側から臀部にかけて大きな黒いアザ、そして右側の肋骨がほとんど折れて胸部が変形、折れた肋骨が肺に突き刺さって、出血していることがわかった。しかし、頭部には外傷が見られなかったことから、足を下にした状態、つまり普通に立ったままの状態で、高所から落下したものと思われた。上腕内部をはじめ遺体には、他人と争ったときによくできる皮膚の剥離や圧迫痕などはなく、遺体の状態を見た限りでは、明代が何らかの事件に巻き込まれた可能性は少ないとみられた。
普通なら、この段階で、警察医は自殺の判断をするところだろう。しかし、なぜか警察医は「自殺」の判断をしなかった。のちに週刊誌の取材に応じた警察医は、その理由について、「飛び降り自殺の場合、頭から落ちているのがほとんどで、死因は頭蓋骨骨折とか脳挫傷が多いが、明代の場合は頭から落ちていない。これから捜査をするのだから、自殺の欄に丸をつけるのはためらわれた」旨説明している。このとき、千葉は不審に思った。千葉の経験では、足から落下した自殺もあるからだった。その場合、やはりほとんど足が折れていた。ともかく、こうして検案作業が終わり、矢野や遺族は遺体と対面、このときはじめて遺体が明代であることが確認され、断定されたのである。
捜査上、「変死」とは任意の「行政解剖」か法的拘束力を持つ「司法解剖」の要の指示でもある。千葉は行政解剖で十分との判断だった。そもそも真相を究明するという意味において、行政解剖も司法解剖も実質的な違いはどこにもないのだ。普通なら、遺族は警察の判断にまかせるところである。ところが、このとき遺族らは、行政解剖ならここでやってほしいと病院を指定して譲らなかった。遺族の指定する病院で解剖したのでは、公平な結果が出なくなる恐れがある。そこで、千葉は仕方なく司法解剖に切り換えたのである。こうしてその後の司法解剖の結果、明代の直接の死因は出血性ショック死と断定された。薬物反応も検出されなかった。
【解説】
朝木明代とおぼしき遺体の検案作業が始まった。千葉が警察医とともに遺体の損傷箇所を逐一指さしながら、入念に確認していった。明代の遺体は両足骨折、右足大腿部裏側から臀部にかけて大きな黒いアザ、そして右側の肋骨がほとんど折れて胸部が変形、折れた肋骨が肺に突き刺さって、出血していることがわかった。しかし、頭部には外傷が見られなかったことから、足を下にした状態、つまり普通に立ったままの状態で、高所から落下したものと思われた。上腕内部をはじめ遺体には、他人と争ったときによくできる皮膚の剥離や圧迫痕などはなく、遺体の状態を見た限りでは、明代が何らかの事件に巻き込まれた可能性は少ないとみられた。
素直に考えると、その通りなのでしょう。
獅子風蓮