獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

池上彰/佐藤優『プーチンの10年戦争』を読む その45


佐藤優氏のことば。

言うまでもないことですが、ロシアがやっていることは間違っています。独立国家であるウクライナにいきなり軍事侵攻を仕掛けるなど、どんな理由があっても既存の国際法では認められません。
そのうえで、ロシアにはロシアの論理がある。プーチンの演説を丹念に読み解く作業を通じて、読者の皆さんには「プーチンの内在的論理」に耳澄ませてほしいのです。私たちは「ウクライナ必勝」と叫ぶ必要はないし、プーチンを悪魔化して憎むのも良くない。両国で暮らす一人ひとりの人間に思いを致し、一刻でも早く戦争をやめさせなければなりません。

そこで「ロシアの論理」を知るために、こんな本を読んでみました。
一部、かいつまんで引用します。

池上彰佐藤優プーチンの10年戦争』(東京堂出版、2023.06)

日本では詳しく報じられたことがない20年にわたるプーチンの論文や演説の分析から戦争の背景・ロシアのねらいを徹底分析。危機の時代の必読書!1999―2023年のプーチン大統領の主要論文・演説、2022年のゼレンスキー大統領の英・米・日本国会向けの演説完全収録!

 

プーチンの10年戦争』

□はじめに ジャーナリスト池上彰
□第1章 蔑ろにされたプーチンからのシグナル
□第2章 プーチンは何を語ってきたか
 __7本の論文・演説を読み解く
■第3章 歴史から見るウクライナの深層
 □ウクライナの意味は「田舎」
 □ウクライナの東西では、文化も言語も宗教も違う
 □大飢饉の元凶はウクライナの「核家族」にあり
 □プーチンウクライナ政権を「ネオナチ」と非難する理由
 ■戦後の独立運動を支えたのはカナダの移民だった 
 □東部の内戦の原因は「言語」にあり 
 □ウクライナに「国家」は存在するのか?
 □ゼレンスキーの支持率が急落した理由
 □日本向けの演説は明らかに準備不足

□第4章 クリミア半島から見える両国の相克
□終 章 戦争の行方と日本の取るべき道
□おわりに    佐藤 優
□参考文献
□附録 プーチン大統領論文・演説、ゼレンスキー大統領演説

 


第3章 歴史から見るウクライナの深層

戦後の独立運動を支えたのはカナダの移民だった

池上 さて、ナチス・ドイツが敗北して第二次世界大戦終結すると、ウクライナは全土があらためてソ連邦の一部になります。
それから1991年にソ連邦が崩壊してウクライナが独立を果たすまでの46年間について、少なくとも日本であまり多く語られることはありません。実際には、独立・抵抗運動も行われていたんですよね。

佐藤 そうですね。旧ウクライナ解放軍の一部は、1950年代の後半になっても、山ごもりして抵抗を続けていました。それからソ連支配を潔しとしないウクライナ人たちは、こぞって海外、特にカナダに亡命した。その数は少なく見積もっても40万人、多くて140万人といわれています。
今でも、エドモントンというカナダで5番目に大きい都市には、ウクライナ人で構成された移民村があります。ちなみにカナダの公用語は英語とフランス語ですが、三番目に多く使われている言語はウクライナ語です。それだけこの地に根を張り、何世代にもわたって暮らしているということです。
そして、実は彼らこそが、のちの独立の大きな原動力になりました。戦後、ソ連の政権はガリツィア地方への外国人の出入りを厳しく制限し、またガリツィア地方の出身者の出国も禁止してきました。しかし1985年にゴルバチョフ書記長が登場すると、80年代末までに人の往来が自由になります。
これを機に、カナダに住むウクライナ人はこぞってガリツィア地方を訪れるようになりました。本人たちはウクライナに特に思い入れがなくても、祖父母や父母からウクライナについていろいろ聞かされて育ったわけです。ウクライナ人がいかに偉大な民族か。民族独立のために最初はナチスと手を組み、その後はナチスと戦い、さらに今はソ連と戦い続けている。我々は共産主義の下で暮らすぐらいならと名誉を選び、カナダへ亡命したのだと。
そう聞かされ続ければ、実際にどんなところなのか、見てみたいと思うのは当然でしょう。また独立運動を応援しなければという気にもなるでしょう。
当時のソ連の経済はすでに破綻状態で、高校の先生の月給がだいたい5ドルといったレベルでした。そこで効力を発揮するのが、国外から流入するマネーです。カナダからの旅行者は、旅行費用として1000~2000ドルを持参し、その一部を独立運動に寄付する。100ドルだったとしても、一人の活動家を1年半は養えるほどの大金です。
おかげで独立運動の組織にはたいへんな資金が集まり、働かずに活動に専念できるようになりました。これが運動の輪を広げ、ソ連邦の崩壊とともに独立を果たすことにつながったわけです。

池上 『物語 ウクライナの歴史――ヨーロッパ最後の大国』(黒川祐次、中公新書)によれば、1991年12月にウクライナで行われた完全独立の是非を問う国民投票の結果、90.2パ ーセントが賛成票を投じたそうです。また親ロシア派住民の多い東部の各州でも、賛成が軒並み80パーセント超、もともとロシア人の多いクリミアでも54パーセントだったとのこと。この時点では、独立は国民の総意だったといえますね。

 

 


解説

池上 ……1991年12月にウクライナで行われた完全独立の是非を問う国民投票の結果、90.2パ ーセントが賛成票を投じたそうです。また親ロシア派住民の多い東部の各州でも、賛成が軒並み80パーセント超、もともとロシア人の多いクリミアでも54パーセントだったとのこと。この時点では、独立は国民の総意だったといえますね。

 

ここは押さえておきたいです。

 

獅子風蓮