最初のころ、私は乙骨正生氏の著書「怪死……」を読んで、女性市議転落に創価学会がかかわっているという疑惑があることを知りました。
このブログでも連載しました。
しかし、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)でも書きましたが、宇留嶋氏のブログと著書を読み、考えを改めました。

そこで、この本を紹介したいと思います。
宇留嶋瑞郎(うるしま・よしろう)
『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』
ユニコン企画・発行
長崎出版株式会社・発売
(1998.03)
目次
第一章 当選返上
第二章 矢野という「草の根」の来歴
第三章 万引き事件発生
□我田引水の勝利宣言
■長い闘いのはじまり
□接近してきたマスコミ
□客観証言は皆無
□アリバイを公表できない事情
第四章 錯誤と悲痛
第五章 転落死と空白の2時間
第六章 小さな正義
第七章 捜査終結から逆転判決へ
あとがき
第三章 万引き事件発生
長い闘いのはじまり
そんな中、市内に広がりつつあったあきらめムードに独り抵抗し、矢野派批判をますます強めているグループがあった。「草の根グループの議席の私物化を許さない会」である。「許さない会」は、矢野の繰り上げ当選が決定された翌日の5月22日には、市選管に対して直子の当選失効に対する異議申し立てを行い、臨時議会翌日の5月24日には市民集会を開催。さらに6月3日には市選管に対して矢野の繰り上げ当選決定に対する異議申し立てを行うなど、むしろその活動を活発化させていた。
その過程では、今回の「草の根」の議席譲渡に批判的な市民、あるいはこれまで報復を恐れて個人的には批判の声を上げることのできなかった市民たちがさまざまな情報を「許さない会」に提供するようになっていた。そして実は、このころ、「許さない会」が入手した情報の中に、その後の議席譲渡裁判の行方を左右することになる二つの重要な情報が含まれていた。しかも、二つの情報を重ね合わせると、矢野の繰り上げ当選の根拠となった「朝木直子の東村山における被選挙権の喪失事由」のあいまいさ、つまり95年4月26日に東村山市から千葉県松戸市に生活の本拠を移したとする直子の主張が、どれほどいい加減なものであるかがますますはっきりしてきたのである。当然、矢野にとっては分のない情報だった。
第一の情報は東村山市廻田町在住の女性から寄せられたものだった。
直子に投票したこの女性は、やはり当選返上に納得がいかず、直子が松戸に移転したとする翌日の4月27日夜、東村山自宅にいた直子と電話で短い議論を交わしていた。
この女性の証言と、電話での会話の内容は 次のようなものだった。
〈――朝木直子さんに投票した一人として納得がいかず、4月27日夜、東村山市内の自宅に電話したところ、最初に直子さんの妹が電話に出たので、直子さんと代わってほしいと依頼したところ、直子さん本人と直接話ができました。
直子 はい、私ですが。
――直子さんですね。
直子 はい。
――今度の市議選で当選確実となった時点で、親子でやりにくいこともありますが、がんばりますといっていましたが、どうして議席を譲ったのですか。
直子 3日間考えました。「草の根」の結成をめざしてムラ議会の改革を公約に掲げて、いちばん理解し、議会でも私より発言できる次点候補の矢野氏に譲りました。
――私は「草の根市民クラブ」に投票したのではなく、朝木直子さんに投票したのです。これから若い人も議会に出て、若い人の立場で議会でいっていただきたかった。
直子 投票した方は、私個人ではなく「草の根市民クラブ」として投票しているので、矢野氏に譲ってもおかしくないのです。
――私は矢野氏に投票したのではない。朝木直子さんに投票しました。投票した人の中には私と同じ考えの人もいるはずです。その方々にはどのように説明されるのですか。
直子 そういう方はいないはずです。投票された方は、「草の根グループ」として投票しているので理解していただけます。草の根の運動はこれからも続けていきます。
――あなたのお話は納得がいきません。でも、話が平行線なので電話を切りましょう〉
4月26日、東村山から松戸市に住民票を移動した朝木直子が、翌日の夜には東村山の自宅にいたことは事実だった。また、もうひとつの情報は、直子が4月26日の時点ではまだ、生活の本拠を松戸に移していなかったことを直接的に立証するものだった。
「許さない会」の市民協力者であり、のちに議席譲渡裁判の原告団に名を連ねる小倉昌子、「許さない会」の青木泰ら東村山市民4名は、95年5月25日午後6時30分ごろ、松戸市紙敷にあった直子の最初の移転先を実際に訪ね、直子が移転してきたのが正確にはいつだったのかを確認したのである。当時、なぜかそこには、東村山に住む直子の父親、朝木大統の住民登録があったが、実際には大統が役員を務める会社の部下である福永という人物の表札がかかっていた――。
小倉らの応対に出たのは、狩野きぬよという福永の同居人らしき女性だった。
小倉 こんばんは。 東京から来た小倉と申します。朝木さんがこちらに引っ越してきたと聞いて訪ねて来たのですが……。
狩野 はぁー。
小倉 朝木直子さんなんですが。
狩野 あー、いませんよ。一週間ぐらいいましたけど、出て行きましたよ。
小倉 連絡を取りたいのですが。
狩野 松戸の方に引っ越したみたいですよ。
小倉 住所は?
狩野 私、わからないんですよ。
小倉 じゃ、電話番号は?
狩野 それも、知らないんですよ。
小倉 彼女が東村山にいなかったことを確認したかったのですが。
狩野 ……。
小倉 日にちをはっきりさせたいので、正確に教えてほしいのですが。
狩野 えーと、えーと。
小倉 (直子さんが来たのは)4月の下旬ごろではないですか。
狩野 子供が寮に入る日と一緒の日だったから覚えているけど、5月3日です。
小倉 5月3日といえば、連休が始まった日ですね。
狩野 そうです、そうです。
朝木直子が最初に住所を移した先の居住者は、直子が来たのは95年4月26日ではなく、5月3日であったとはっきり答え、その後確認した際の回答も同じだった。
とすれば、国やその選挙法が合法の基準とした95年4月26日時点における直子の松戸への住民票移動は虚偽だったということになり、直子の当選失効も、矢野の繰り上げ当選決定も無効ということになる。当然、「草の根」は、4月27日に直子が市内の有権者と電話で短い議論を交わしたことはもちろん、東村山の市民がわざわざ松戸まで出向いて直子の所在を確認していたことも、福永からの通報によって知っていた。矢野が、「許さない会」がいまも「草の根」の追及をあきらめていないことを確認し、正確にはどう思ったのかは明らかではない。しかし、想像していた以上に手ごわい相手であることを実感はしたのだろう。だからこそ、矢野と直子は、5月31日付「東村山市民新聞」で勝利宣言とも取れる前記高飛車の署名記事を発表する必要があった。
〈マスコミが去り……〉というタイトルは、つまりは「許さない会」に対する牽制でもあった。さらに、6月1日には市内にあらためてビラをまき、小倉昌子らが松戸でプライバシー侵害を働いていると非難し、直子が松戸市にいまも住んで生活していると次のように主張したものである。
〈新聞にコメントを発表した通り、朝木直子は松戸に住み、松戸市内で働き、生活している。第一、草の根・朝木直子が公選法99条適用に問題を生ずるような「間抜け」をするはずがない。市外に転出し、被選挙権喪失の事実を当選人・朝木直子自身が認めているのに、これに異議を申し立て、市選管の仕事を増やす、まるで法律の「ほ」の字も知らない支離滅裂!(or偏執症?!)
……これに加えて、朝木直子の父親の会社まで電話する破廉恥なプライバシー侵害まで平気でやるのだから、よっぽど焦っているのだろうが、いくら嗅ぎ回っても、何も出てくるはずがない。今度は、これらの違法行為の責任を、小倉昌子ら関係者がとる番だ……〉
実は、その3日前の5月29日、直子は2度目の転居先である「松戸市松戸1164-1」から、新たに「松戸市馬橋1454-1」へひそかに住所を移転していた。4月26日に、東村山から松戸市への住民票移動を行って以来3度目の住所移転だった。わずかひと月の間に、3度も住民票を移動させるとはどう見ても緊急の住所探しで不自然だった。ただ、「草の根」側とすれば、あくまで合法を取り繕って「東村山市民新聞」で議会をあざわらい、あるいはビラで小倉昌子らを非難することで、直子の不自然な3度目の転居という事実からも市民の目をそらせようとすれば事はすむ。
道義的問題は別にして、「草の根」による事実上の議席譲渡が法的に認められることになった理由はほかならぬ朝木直子の住所移転以外になかったのだ。したがって、「草の根」が、なおこの上の論理的正当性を求めるのもこの一点にしかなく、彼らにとって転居の実態を調べはじめた「許さない会」の動きほど、当時、目ざわりなものはなかっただろう。だから、6月6日、「許さない会」が市選管に対して行っていた朝木直子の当選失効に対する異議申し立てが従来の法解釈の上で棄却されたことは、「草の根」にとってひとまず胸をなでおろす思いだったに違いない。当事者である直子の当選失効への市民による異議申し立てが棄却されたということは、矢野の繰り上げ当選に対する異議申し立ても自動的に棄却される可能性が高まったということでもあったからである。
しかし、「草の根」が一息ついたのも束の間だった。6月8日、「許さない会」は自分たちも機関紙「手を結ぶ市民のニュース」第一号を発行、4月27日夜も、東村山の自宅にいた直子が市内の有権者と電話で議論していた事実、また4月中には松戸市紙敷にはいなかった事実を公表し、矢野の繰り上げ当選決定に至る一連の手続きが現行内でも無効であることを市民に訴えた。また、同日、「許さない会」は、清水雅美市議会議長に対して矢野の議員辞職を求める請願書を提出するとともに、請願のための署名運動を開始している。市選管への異議申し立てが棄却されたぐらいではけっして引き下がらないという「許さない会」の決意表明でもあり、「草の根」に対する長い闘いの始まりを予告する態のものでもあったのだろう。
事実、その後、「許さない会」からの闘いは、6月17日の第7回市民集会の開催、6月22日の市議会議長に対する矢野穂積の議員辞職勧告を求める陳情および市民の署名提出と続き、6月28日には、朝木直子の当選失効決定に対する審査を東京都選管に申し立て、7月1日の矢野の繰り上げ当選決定に対する異議申し立て棄却を受けて、7月7日には、都選管に対して同審査の申し立てを行っている。翌7月8日には公正証書原本不実記載の疑いで朝木直子を警視庁東村山署に告発した。
もちろん、これは、住所移転の実態がないのに虚偽の住民票移動を行ったとする告発である。
矢野の繰り上げ決定以降、「許さない会」の活動が、下火になるどころかより活発化している様子がよくわかる。「草の根」は、思わぬかたちで新しい草の根市民運動の法廷闘争を呼び込むことになったのだ。どうやら、「草の根」は大変な相手を敵に回したようだった。
ところが、こうした「許さない会」の立て続けの抗議行動の陰で、「草の根」にとっては「許さない会」どころではない、新たな大不祥事の疑いが発生していた。何なのか――。
「許さない会」がこの情報を入手したのは7月9日開催した市民トークの終了後、メンバーが集まって今後の活動方針を検討している最中のことだった。実は、6月19日、午後3時15分ごろ、東村山駅東口にあるブティック「スティル」で「草の根」の朝木明代が万引きを働き、警察に訴えられている――というのだ。
あろうことか、明代は店頭につるしてあった1900円のTシャツを万引きし、その現場を経営者の妻、戸塚節子に押さえられたというのである。
「面白いことになった」という声もあった。
しかし、これで今回の選挙法解釈をめぐる彼我の動議提出が、似ても似つかぬ世俗の欲望論の方向に押し流されていきかねないという一抹の危惧を、メンバーの一部が感じたのも事実だった。それなりにベストを尽くして矢野と対峙してきたのが、事態は誰にとっても間の抜けた市議のスキャンダル、個人の不祥事になってしまう……。本当に、こんなことでいいのか。そんな思いだったのだろうと思われる。
6月15日に開会された東村山市議会6月定例会の会期中の出来事だったという。明代そのものの、議会での様子はいつもと特別に変わった様子はなかった。6月15日には市職員の給与減額問題、6月16日には談合問題。事件があったとされる6月19日のあとも、6月22日には市役所の経費節減問題、最終日の6月28日には公共事業の業者選定問題と、彼女は相変わらず公金支出を中心とした丹念な、悪くいえば重箱の隅をほじくるような質問を行っていたのだ。しかも、明代自身、市議になって以来、議員報酬のお手盛り値上げに反対する旨「東村山市民新聞」で主張し、値上げ分を返上していることを市民にアピールしてきた。ひるがえって直子など、だからこそ「草の根」には特異的な議席譲渡が許されるなどと主張したばかりだった。
明代の万引きが事実なら、当の明代はもちろんのこと、矢野穂積もまた、二人に引きずり回されてきた市議会一般も、まともでは市民に顔向けができにくくなる。二期連続トップ当選の市議、「草の根」の朝木明代が市内のブティックで万引きを働いたのか。うわさは案の定、またたく間に市内に広まった。また、これをきっかけに「スティル」が、明代の万引き被害にあったのは実はこれがはじめてではなかった、などという話まで出てくるようになった。これまで警察に訴えられなかったから表沙汰にならなかっただけだというのである。
【解説】
4月26日に、東村山から松戸市への住民票移動を行って以来3度目の住所移転だった。わずかひと月の間に、3度も住民票を移動させるとはどう見ても緊急の住所探しで不自然だった。
矢野穂積を繰り上げ当選させるための姑息な工作だったことは明白です。
獅子風蓮