獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

宇留嶋瑞郎『民主主義汚染』を読む その34

最初のころ、私は乙骨正生氏の著書「怪死……」を読んで、女性市議転落に創価学会がかかわっているという疑惑があることを知りました。
このブログでも連載しました。

しかし、別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)でも書きましたが、宇留嶋氏のブログと著書を読み、考えを改めました。

 

そこで、この本を紹介したいと思います。

宇留嶋瑞郎(うるしま・よしろう)
『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』
ユニコン企画・発行
長崎出版株式会社・発売
(1998.03)

目次

第一章 当選返上

第二章 矢野という「草の根」の来歴

第三章 万引き事件発生

第四章 錯誤と悲痛

第五章 転落死と空白の2時間
 □朝木明代が行方不明?
 □他殺の材料は発見されず
 □警察は事件性薄いと判断
 □矢野の涙声の意味
 □一気に過熱した一部マスコミ
 □自殺説を否定するために
 ■直子はついに現れず

第六章 小さな正義

第七章 捜査終結から逆転判決へ

あとがき

 


第五章 転落死と空白の2時間

直子はついに現れず

明代の遺族が東村山警察に事情説明に訪れたのは、マスコミの疑惑報道がひととおり出終わったころだった。ただし、彼らは一度には来ず、バラバラにやって来た。
最初にやって来たのは夫の朝木大統で、明代の葬儀から2週間後の9月18日。直子の弟、巌がやって来たのは9月25日。比較的冷静でいられたはずの矢野穂積にいたっては10月7日のことだった。
『週刊現代』で「創価学会に殺された」と語っていた直子は哀れにもついに警察には来なかった。
あえて本書で指弾の意図はないが、事情聴取に出向いて来た三人の話の辻褄はみごとに合っていた。それまでの警察の捜査と、彼らの説明から判明した明代、矢野、遺族らの9月1日(事件当日)の動きはこうだった。

午後0時30分 矢野、明代、「草の根」事務所を出て新宿へ。
午後1時30分 矢野、明代、支持者とともに都庁へ。
午後2時    矢野、明代、万引き事件の件で担当弁護士と面会。
午後5時10分ごろ 矢野、明代、弁護士と別れる。
午後7時ごろ  矢野、明代、「草の根」事務所に戻る。その直後、矢野は自治会長会議のため市立四中へ。
午後7時40分ごろ 明代、転落現場方向から事務所方向へ歩いているのを目撃される。
午後8時30分ごろ 明代、自宅方向から事務所方向へ歩いているのを目撃される。
午後9時10分ごろ 矢野、事務所へ戻る。
午後9時19分 電話中の矢野のところへ明代からキャッチホンが入る。「気分が悪いので休んでいきます」。
午後10時少し前 直子、松戸からの帰途、所沢のファミリーレストランから矢野に電話。「母を出してください」「休んでくるといってたから、家にいるんじゃないの」。直子、自宅に電話するが明代はいない。直後、直子は「悪い予感がする」といって、注文してあった料理をキャンセル 巌と大統を残し車で自宅に向かう。
午後10時ごろ 明代、ロックケープビルから転落。
午後10時30分ごろ 直子、自宅から矢野に再び電話。「(縁の下まで探すが)母は自宅にもいない。事務所にいないか」「事務所にはいない」。直子、半ベソ状態で矢野に警察に連絡するよう依頼。
ちょうどこのころ、「モスバーガー」アルバイト店員が倒れている明代を発見。
午後10時30分~2日午前0時 病院に直接確認、出向くまたは電話(と遺族は説明)。
午後10時40分ごろ 矢野、「10時40分までに警察に電話した」と警察やマスコミに説明(=「朝木明代が行方不明、情報入っていないか」)。大統、巌、タクシーでファミリーレストランを出、自宅に向かう(巌、大統の説明)。
午後10時45分 モスバーガー店員、駅前交番に通報。
午後10時56分 救急車、現場に到着。
午後11時    119番に朝木搬送はなかったか確認の電話をした(と矢野は説明)。
午後11時16分 救急車、防衛医大病院へ向けて出発。
9月2日午前0時30分 矢野、警察に電話。「朝木明代が行方不明」。

転落が「事件」なら、一刻も早く「事情」の必要な警察に遺族と矢野がなかなか現れず、そのあとバラバラにやって来て寸分違わず述べたのは、およそこういうことだった。整合し合って出向いたのだろう。しかし、彼らの説明にはおかしな点が二つあった。ひとつは、午後10時少し前、直子が家に電話して明代がいないことを知り、「悪い予感がする」といって食事をキャンセルしてまで帰宅を急いだこと。まだ夜の10時である。いつも夜遅くまで仕事をしていたであろう明代が、夜の10時に事務所にも家にもいなかったからといって、やはり悪い予感がするとは異常である。「もしや」の遺族の思いについて、矢野らは明代が生前から脅迫を受けていたなどといい、明代自身も「いつか殺されるかも」などともらしていたと述べた。では、直子はそんな状況にある明代をなぜ一人にして松戸へ行ったのか。それほど心配していたのなら、東村山までもう10分の所沢まで来ていながら、なぜまっすぐ帰宅しなかったのか(実情は、直子は万引きで送検された明代の異変にうすうす勘づいていたのではないのか)。
もう一つは矢野の説明する時間だった。
葬儀のとき、矢野がマスコミに配布した資料には、〈22時40分ごろ、東村山署大木署員に「朝木が行方不明状態、情報はないか」〉と電話したことになっている。警察の事情聴取でも、矢野は「10時40分までに警察に連絡した」と説明していた。ところが、当の警察には、9月1日午後10時40分までに矢野から連絡が入った記録はなかった。あったのはただ、翌午前0時30分の記録だけだったのである。
つまり矢野の主張には、事実に対して丸々2時間の空白があった。しかも、矢野は警察では「10時40分ごろ」とはいわず、「10時40分までに」といった。普通は「10時40分ごろ」である。それを矢野はわざわざ「までに」と強調したのである。なぜなのか。好意的に推理して出る答えはこうだ。つまり10時30分、半泣き状態の直子から「母がいない」という電話を受けた矢野は、せめて10分以内ぐらいには安否を確認したことにしておかねばならなかったのではないか。だから、マスコミ配布資料でも、10時40分に電話したことにし、警察でも「10時40分までに電話したと証言した。これは警察に対するごまかしであると同時に、直子に対する彼らしいポーズではなかったか。父親の大統や弟の巌は来ても、母親の身を最も案じていたはずの直子が、とうとう警察に一人で現れなかった理由も、なんとなくわかる気がする。
では、矢野はなぜ直子に対して、ポーズを取る必要があったのか。万一、たんに午後10時40分までに電話しなかったのでないとすると、実際は、この時間、おそらく矢野には警察に電話ができない理由があったことになる。もとより10時40分という時間に、わざわざ警察に連絡して明代の安否を尋ねるなどというのは異常事態だからである。警察は何かあったのかと聞くだろう。だから、矢野は警察には電話できなかった。つまり、少なくとも矢野は明代の異変を知っていたからだと考えるのがより自然なのではないか。そうでなければ、直子に対してまで電話の時間をごまかさねばならなかったことの説明がつかない。まさに明代が万引きの事実を隠蔽するために行ったアリバイ工作に似ていた。

9月1日午後だった。明代は矢野とともに万引き事件の弁護を依頼したヤメ検の高田治弁護士に面会、4日後に迫った検察出頭に備えての話し合いを持っている。そこで、高田弁護士が明代に何をいったのかはわからない。依頼者に対する弁護士という立場上、あまり悲観的なことはいわなかったのかもしれない。
だが、明代だけはこの時点で罪から逃れられないことを自覚していたろう。7月12日、東村山署の取調室で「今日の調書はなかったことにしてください」といってしまったときの光景が、明代にはありありと思い出されていたのでもないか。――矢野がこのことをいつ知ったのか、あるいは知らなかったのかどうかはわからない。午後7時過ぎに矢野と別れた明代が、一度自宅に帰り、再び事務所に立ち寄っているらしいことは、その後報道されてもいる。それが何時ごろだったのか、そのとき明代が矢野と会ったのかどうかもわからない。しかし、少なくとも矢野は、明代の様子がおかしいことにだけは気づいていたのではないか。だからこそ、直子から「母がいない」という電話を受けても、警察にだけはすぐには連絡できなかったのだ。
直子の電話から、10時30分の時点で明代が自宅にもいないことを、矢野は確かに知った。矢野や遺族らは、その後マスコミに対して「草の根」の周辺に脅迫やいやがらせが続いていたと語り、明代自身もまた「いつ殺されるかわからない」などと語っていたという。矢野にしても、明代の自殺は考えられず、なんらかの事件に巻き込まれた、あるいは薬物によって意識を朦朧とされ、拉致されたとしか考えられないと語っている。
矢野や遺族らの証言では、その後彼らは119番や病院に明代の搬送の有無を確認したという。しかし、矢野が直子からの電話を受けたとき、事件を直観したのなら、まっ先に連絡すべきは119番や病院ではなく、警察でなければならない。警察に連絡していれば、警察は病院に確認するだろう。常識的には、矢野や遺族らが病院にあたるよりも、事態は明らかに早く判明するのである。だが、矢野はすぐには、警察に連絡しなかった。119番や病院に連絡したと証言している矢野が、警察にだけは連絡しなかったとは、どういうことなのか。おそらく、矢野はこの説明不能の矛盾に気づいていただろう。だから「10時40分までに」は警察に連絡していないことを明らかにすることはできなかったのではないか。
現場に救急車がサイレンを鳴らしてやって来たのは、矢野が直子からの二度目の電話を受けてから約15分後である。
「草の根」事務所は現場から直線距離で50メートル前後しか離れておらず、電話の声さえもれるような造りである。サイレンの音など必ず聞こえる。
しかし、事務所にいたであろう矢野は、サイレンの音を明代との関連では聞かず、警察にも連絡せず、現場にも行かなかった。それが明代にかかわることであれば、人が集まって大騒ぎになる。矢野が行けば、身元はすぐに判明しただろう。もちろん、気づかなかったとしても、それは矢野の罪ではない。そしてその後、矢野が警察にも明代の自宅にも、連絡を入れた様子はない。
不幸なことに、現場で明代の身元はわからなかった。日付が変わり、人通りも少なくなった。時間かせぎもそろそろ限界だった。そして午前0時30分、矢野はやっと警察に電話を入れた。
「昨日の夜9時過ぎに電話があったあと、朝木明代が行方不明になっている」
空白の2時間、矢野がいったい何をしていたのかは、私にはわからない。確かに、遺族らの証言では、遺族と矢野は午後10時30分から午前0時ごろまで「病院に直接確認、出向くまたは電話」したことになっている。しかし、彼は本当に病院に出向いたのか。出向けば「自殺」の確認になるかもしれない。逆に病院に確認するのなら電話だけで十分である。事実、彼は電話だけをしたのではないか。
事件当夜、矢野がずっと事務所にいたことが確認されているわけではない。しかし仮に、遺族らが何カ所かの病院に出向いて明代の消息を確認していたとしても、明代からの連絡が入ったり、帰ってきたときのために、事務所と自宅には誰かが待機している必要があっただろう。動いたとすれば、それは直子だったのではないか。とはいえ、出向いたことにしなければ、とても現場にも行かなかった2時間の説明ができない。一方でこの2時間に、彼はそのあとのシナリオを考えたのではないのか。あるいは実情は、この間矢野も、焦燥のパニックにひたすら耐えていただけなのかもしれない。人とは、往々、そういうものだからだ。ただそうなら、なぜ矢野は、そのことを直子にいわなかったのだろう。逆になぜ、あざとい責任転嫁に出るのか。
はっきりしているのは、9月2日午前0時30分になって警察に電話したことをマスコミには隠し、9月1日午後10時40分に電話したと発表したこと。そして午前2時40分「不審な車」の110番。そして2日午前になると、矢野はマスコミに対しては、しきりに「明代は殺された」と訴え、創価学会の関与をうかがわせはじめていたことである。

 


解説

はっきりしているのは、9月2日午前0時30分になって警察に電話したことをマスコミには隠し、9月1日午後10時40分に電話したと発表したこと。

 

こうして「空白の2時間」という疑惑が生じたのです。


獅子風蓮