獅子風蓮のつぶやきブログ

創価を卒業し、組織にしばられず、いろいろ考えたりしたことや、読書感想などを書いています。

「代議士とカネ」の中の論文を読む その2

というわけで、『代議士とカネ』(朝日新聞社)を読んでみました。
このうち、山口二郎教授の論文のみ引用します。

『代議士とカネ 政治資金全国調査報告』
(1999.05 佐々木 毅/[ほか]編著 朝日選書)
 
『代議士とカネ』
 
はじめに
 
1)議員を生み出すコスト
2)政治資金全国調査の語るもの――政治改革の射程を考える
3)浮かび上がった政治資金システムの問題点
 
4)総論 支出からみた日本政治
5)政治資金からみた政治家の地域活動体制
6)政治資金からみえる政治家と地方政治――四国の場合
7)束の間の地域二大政党制――近畿自民・新進の資金構造と選挙戦略
8)民主党 にわか結党の痕跡
9)政治資金・政党組織・集票活動――日本共産党の場合
10)自民党実力者(山崎拓)の集金システム
11)資金からみた政治的基盤の継承渡辺美智雄から喜美へ
12)ネオ・ニューリーダーをねらう土着政治家、鈴木宗男……山口二郎
□一 鈴木宗男の政治手法と集金構造
■二 北海道政界と鈴木宗男
□三 リーダーへの脱皮をはかる鈴木宗男
 
13)調査の概要とその特質
 
 
 

12)ネオ・ニューリーダーをねらう土着政治家、鈴木宗男

……山口二郎

 

二 北海道政界と鈴木宗男

 
次に、鈴木の政治手法を生み出した背景について、振り返っておこう。北海道は55年体制の時代には社会党王国ともいわれ、昔から保守の大物政治家は育たなかった。これは、明治以後の開拓の歴史が浅く、本州のような地域名望家が存在しなかったため、保守政界を支える人材の層がきわめて薄いという理由によるものであろう。もともとは開拓移民が構成した北海道の社会には、平等志向的な気風が強く、名門の御曹司よりも下からはい上がっていく政治家を後押しする気風もある。現在の北海道政界においては、 町村信孝中川昭一などの二世議員が頭角を現し、鈴木宗男佐藤孝行武部勤などの秘書や地方議員からのたたき上げの政治家とが競い合っている。ただし、中川昭一の父親は、はい上がっていったタイプの政治家であった。北海道の保守政界で根を張るためには、その風土に見合った庶民性が必要とされるといえよう。
鈴木の初当選は、1983年12月の総選挙である。この選挙は、中川一郎の謎の自殺の直後に行われ、中川の息子昭一と鈴木が、中川一郎の地盤を二分する形で出馬し、骨肉の争いとまでいわれた。彼らが争ったのは、かつての中選挙区のなかでも日本最大の北海道五区であった。旧五区には、十勝、釧路、網走・北見の三地域があり、中川と鈴木は十勝の票を取り合うという構図であった。しかし、83年の総選挙では中川、鈴木の両者が当選し、その余波を受けてそれ以外の自民党候補はすべて落選した。
次の86年7月の衆参同日選挙は、自民党四人、社会党三人による乱戦となったが、自民党が四議席を獲得し、中川と鈴木の競争的共存は続いた。鈴木以外の自民党代議士はそれぞれ十勝、釧路、網走・北見を地盤として確実な集票を行う基盤を築いた。そのなかで、鈴木は異質な存在であった。もちろん、十勝地区の票が中心ではあるが、それだけでは当選ラインに届かない。彼は、旧五区の各地に支持組織を広げ、全区的に集票するための体制を築いていったのである。いわば、彼は中心的な本拠地をもたない政治家である。派閥の色分けでも、ボスの中川一郎の死後に政界に入ったため、有力な後ろ盾をもたなかった。しばらくは無派閥であったが、金丸信の側近となり、現在では小渕派の有力者になりつつある。本拠地をもたないという宿命的な弱点を克服することなしには、彼の政治生命は保たれない。全方位的に支持基盤を広げるという努力の過程で、あとで説明するような彼の政治手法の原形が形成されていったと思われる。
90年2月、93年7月の総選挙は、鈴木にとって試練の連続であった。全国的な社会党ブームあるいは新党ブームのなかで、旧五区で自民党が四議席を維持することは難しいとみられていた。しかし、結果は自民党前職の勝利であった。社会党があくまで三人の候補を擁立し、票を分散させたという選挙戦術上の失敗はあったにせよ、鈴木は当選回数を重ねるなかで旧五区全域に強力な基盤を形成していったのである。
小選挙区制の導入ののち、十勝地区は中川昭一に割り当てられ、鈴木は釧路地区(十三区)からの出馬を余儀なくされた。96年10月の総選挙では、鈴木は当時新進党北村直人と戦い、敗れたが、一回限りの措置として比例区第一位にランクされたため、議席は守ることができた。97年に北村が自民党に復党したので、以後の総選挙においては釧路地区においてコスタリカ方式によって鈴木は北村と共存をはかることとなる。
 
鈴木の地元における評価は、典型的な利益誘導型政治家というものである。地元に対する面倒見はきわめて丁寧であり、予算獲得について有能である。頼りがいのある政治家との評価も強い。しかし、他方でその見返りを求めることについても綿密である。道庁の関係者からは、役人を公然と怒鳴りつけ、政策決定に大きな力をふるっているという演出が巧みだとの評価を聞いたことがある。さながら、今に生きる田中角栄ということも可能であろう。
もちろん、議員秘書から身を起こし、政治稼業に必要な元手をすべて自力で築いた彼にとって、政界で生き残るにはさまざまなノウハウというものが必要である。支持者に対してはきわめて親切で、頼れる男である一方、公共事業の分配に大きな影響力をふるうのは、鈴木の政治家としての生存本能である。
 
鈴木の政治手法は、ゲリラ的ということができる。この点は、先に述べた中心的本拠地を持たないという宿命に由来する。帯広市長選挙における彼の行動をみれば、ゲリラ的性格がよくわかるであろう。帯広市は十勝地方の中心都市であり、大票田である。90年の市長選挙で、鈴木は社会党と協力して保守系の現職を破り、以後二期八年間、「革新系」の市長と密接な協力関係を保ってきた。そのねらいはいうまでもない。中川昭一の地元基盤を切り崩すことである。下からはい上がっていくタイプの彼は、保守のエスタブリッシュメントと戦わなければならない。そして、そのためには革新と手を組むこともいとわないのである。
先日筆者が北見(北海道十二区の中心都市)に行ったとき、次の総選挙では鈴木は民主党の候補を側面から支援し、自民党の現職の追い落としを画策するのではないかという噂話を聞いた。コスタリカ方式で釧路の選挙区へ出るのは、鈴木にとって不本意である。そこで、いったん自民現職の不在の選挙区をつくり、次に自分がそこに乗り込んで民主党の候補を追い払おうということだそうである。もちろんこれは噂話でしかないだろう。しかし、こうした噂が地元周辺で飛び交うこと自体、彼の政治手法が地元政界関係者にどのように受け止められているかを物語っている。
 
 

解説
鈴木の地元における評価は、典型的な利益誘導型政治家というものである。地元に対する面倒見はきわめて丁寧であり、予算獲得について有能である。頼りがいのある政治家との評価も強い。しかし、他方でその見返りを求めることについても綿密である。道庁の関係者からは、役人を公然と怒鳴りつけ、政策決定に大きな力をふるっているという演出が巧みだとの評価を聞いたことがある。さながら、今に生きる田中角栄ということも可能であろう。
 
よく分かります。
 
 
獅子風蓮